利根川進(9)カリフォルニア大

指導者見つからず悶々
林教授の移籍で道開ける

大学院生として入ったカリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)は、有名なリゾート地、ラホヤ市にあります。青い空に白い砂浜、濃紺の太平洋が眼前に広がっていて、楽園というたとえがぴったりでした。1963年当時はまだ静かな保養地で、大学の校舎も完成しておらず、海洋研究で米国を代表するスクリプス海洋学研究所の、ビーチのすぐ傍にある建物を間借りしていました。

それでも図書館は非常に完備されていました。24時間開いていて、いつでも入れます。本や論文を広げて夜遅くまで勉強し、そのまま家に帰って翌朝来ても、同じ状態で続きを始められるのです。

下宿から大学までは歩くと約2時間近くかかります。当初はバスで通いましたが、便が1時間に1本と少なく最終便も午後6時と不便でした。歩いている人はほとんどいません。ある日歩いて帰る途中、車の中から犬が顔を出して不思議そうに私を見ているんですね。「犬でさえ車に乗っているんだ」と思って、車の購入を決心しました。

しかしお金がない。大学の留学生事務所に行くと、担当の教官が相談に乗ってくれて「これまで、車を買うためのお金を学生に貸したことはないが、あなたはとても熱心な学生なので、特別に300ドル貸しましょう」と助けてくれました。ハワイから移住した日系人が近所に住んでいて、運転を教えてくれました。○×式の筆記試験は簡単に合格し、中古のシボレーを買って、通学の不便はやっと解消しました。

大学院の授業はとても充実していました。教授が講義するだけでなく、学生が話を遮って討論が始まる、双方向の関係が確立しています。

1年目は各教授の研究室にそれぞれ3カ月ぐらい所属して、どの教授に指導を仰ぐのかを決める「ローテーション」があります。私の場合、なかなかしっくり合いそうな教授が見つからず、少し悶々としていました。大学を変わることも考えたぐらいです。

私を受け入れてくれたデイビッド・ボナー学科長は、以前イエール大学で教授をしていた頃は、いつもブーツに革ジャンで、サングラスをかけ、パイプをくわえて颯爽としていたそうですが、その頃はすでに「ホジキンリンパ腫」という病気にかかり、サンフランシスコ市郊外にある、スタンフォード大学病院で治療中でした。彼は私のために航空券を手配し「病院へ相談に来なさい」と。ボナー教授は若い教授を薦めてくれたのですが、状況は改善せず、思案の日々が続きました。

解決の道は突如訪れました。イリノイ大学から林多紀(まさき)教授が移籍してきたのです。林先生は、イリノイ大学で既に有名だった分子生物学者ソル・スピーゲルマン博士の教え子で、「ハイブリダイゼーション」など、分子生物学の様々な手法を習得していました。先生の研究室に入り、最初は先生が研究されていた「ファイx174」という一重鎖のDNAからなる特殊なウイルスについて研究をして、短い共著論文を発表しました。

しかしその先、私はバクテリアに感染する「ラムダファージ」を使って、遺伝子の働きがどのように制御されているのか、その仕組みを調べる実験を考えていて、林先生の研究室でなら最も近い実験ができそうだと直感しました。

(分子生物学者)

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Bubbles of river disappear rapidly.

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