利根川進(7)無事卒業

分子生物学勉強に没頭
卒論代わりに3時間語る

渡邊格先生が分子生物学入門の特別講義を、京都大学理学部生物化学の教室で連続して行うというので聴きに行ったところ、ノーベル物理学賞の湯川秀樹先生もこの新しい分野に関心を寄せておられたようで、お弟子さんの助教授が講義を聴きに来ていました。その他にもいくつかの研究室の助教授や助手といった人たちが出席していたのを覚えています。

講義は、渡邊教授のほか、川出由己助教授や由良隆助手が、それぞれ専門にしている分野を担当していました。一方的に講義をするのではなく、学生も含め皆が質疑応答しながら進めるという方式で、とにかく皆若く颯爽としていて、とても新鮮な雰囲気でした。

これとは別に4年生の秋に、由良先生が分子遺伝学の講義をされると聞いて、勇んで参加しました。この授業では、ジャコブとモノーの「オペロン説」も出てきて、講義終了時の試験の成績も満点。「わが意を得たり」という感じでしたね。そうこうして卒業まであと3、4カ月と差し迫った頃、指導教官の田中正三教授に呼び出されました。「君は卒業論文用に何をやっているのか」と。

化学で論文を書くつもりは毛頭なく実験もしていないわけですから、やばいと思いましたが、田中先生は温厚で「しかたがない。みんなの前でいま君が勉強していることを説明しなさい。それを卒業論文の代わりにしよう」と提案してくださったんですね。

私もこれ幸いと準備して、例のオペロン説を中心に、分子生物学の最新動向を解説しました。1時間の予定だったところを3時間ぐらい話をして、卒業を認めてもらいました。

後に私がノーベル賞を受賞したとき、新聞記者が京大の図書館に行って「学生時代にどんな研究をしていたのか」と、卒論を調べようとしたらしい。でもどこを調べても私の卒論が出てこない。そもそも書いていないのですから、見つかるわけがありません。

さて、卒業はできたものの、分子生物学をどこの大学院で学ぶかが問題でした。当時、日本で分子生物学を研究しているところは限られていました。名古屋大学の大沢省三さんや大阪大学の野村真康さん、広島大学の柴谷篤弘さんの評判を聞いて、実際に話を聞きに行ったり、京都に来られた際に会ったりして行き先を考えました。

当時アメリカから帰国され、阪大蛋白質研究所で助教授をされていた野村さんに会いに行きましたが、「近いうちにアメリカに戻るのでダメだ」とのことでした。

最終的には、京大ウイルス研究所の渡邊格研究室を選びました。面接試験の時、渡邊先生が「どうしてうちを選んだのか」と質問され、私が「他に行くところがないから」と答えると、先生に苦笑されました。

大学院の進学試験に無事合格し、1963年4月から京大ウイルス研に移りました。渡邊研究室が受け入れる最初の大学院生になったのです。渡邊研究室は、米国から研究費を獲得していて余裕があったのでしょう。実験用の施設や機器、またテクニカルスタッフや秘書などの面でも、生化学教室とは雲泥の差です。毎日ティータイムなどがあって「文化」の香りが漂っていました。

(分子生物学者)

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