利根川進(5)化学を専攻

「古くさい」興味湧かず
先輩通じ分子生物学知る

私は政治的な関心をあまり持たない若者でしたが、京都大学に入学したのが60年安保の前年で、大学内には騒然とした気配が漂っていました。日米安全保障条約の問題などを、よく調べて考えている友達の影響を受け、米国の戦争に日本を巻き込むような条約改正に対し「何とかしなくてはいけない」と感じて、一緒にデモに行ったこともあります。

理学部化学科の専門課程に進んでからは、まじめによく勉強しました。まだはっきりした将来像を描けていたわけではなく、「いずれ企業に就職するのかなあ」ぐらいにしか考えていませんでした。

普段はあまり多くの他の学生たちと付き合ったりしてはいませんでしたが、夏休みに友人3人と、地方から来ていた他の級友たちの家に泊めてもらったりしながら、1カ月以上もかけて東北旅行をした思い出があります。

4年になって化学科の生化学教室に所属することになりました。しかし卒業研究で何をしようかと考えた時、化学がとても伝統的で古い学問に感じられ、なかなか興味あるテーマが見つからなかった。

化学教室の建物は、恐らくここ数十年一度も掃除をしたことがないと思われるほど、古色蒼然としていたし、その頃日米安保条約改正が、結局国会を通過してしまい、ある種の挫折感が学生の中に沈殿していたせいもあるのではないかと思います。指導教官の田中正三教授に「生化学には活気がない」と、談判しに行った覚えもあります。

卒業論文で何を研究しようか考えていた頃、友人を通じて生化学教室の博士課程を修了した先輩、故山田広美さんに出会いました。彼は研究員としてそのまま京都大学に残っていて、よく研究室に寝泊まりしていた。

実家がお寺で、皆が「和尚さん」と呼んで敬愛していました。ちょっとユニークな人で、一時、シジミに含まれる成分を抽出して肝臓の薬を作る計画を立て、何度か一緒に琵琶湖まで行って、漁師から大量にシジミを買い付け、ドラム缶で煮出しを手伝ったりしました。

山田さんは色々なことを教えてくれました。英国ケンブリッジ大学にいたフランシス・クリックという30代半ばの物理学出身の生物物理学者と、ジェームズ・ワトソンという弱冠25歳の生物学者が1953年にDNAの二重らせん構造を発見したことは、私もうすうす聞いていました。その後この世紀の大発見をもとに「分子生物学という新しい生物学が欧米で誕生しつつある」ということでした。

米国立衛生研究所(NIH)の研究者マーシャル・ニーレンバーグが、61年に、遺伝子の塩基配列とそれらが合成するアミノ酸との対応関係、すなわち遺伝暗号を、エレガントな実験で解き明かしたばかりでした。最新情報を耳にして「へえー、こんな面白い研究があるのか」と驚きました。生命現象を化学的に研究すれば、何か興味深いことがあるかもしれないという感じがしました。

当時の私の生物学の知識は、ほとんどないに等しい状態でした。教養部で生物学の授業を初めて受けて、人体は細胞でできていることを聞き、数学科の友人にその内容を得意になって話したら「お前、そんなことも知らんかったんか」と、バカにされた思い出があります。

(分子生物学者)

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