半沢直樹はまだマシである

銀行時代の理不尽

銀行員が主人公のドラマ「半沢直樹」が大人気のうちに最終回を終えた。ドラマの中では、銀行内部での様々な理不尽が描かれているので、「銀行ではあんなことがあるのですか」と聞かれることもあった。さすがに銀行で上司に対してあんな口のきき方をすることはないが、不正融資もあったし、融資の焦げ付きなどの責任を部下に押し付ける上司もいた。そういう意味では、あのドラマはさほど現実離れしているわけではない。

だが、しょせん銀行内部のコップの中での責任の押し付け合いだ。半沢直樹はまだマシである。かつての銀行では生命を脅かされるような理不尽があったのだ。

「イトマンは君がやってくれ」――。1991年秋、副頭取の玉井英二さんから一言そういわれ、融資第三部の担当専務としてイトマン処理にあたることになった。それまでは企画担当の常務だったので、もちろんイトマンは担当ではなく、門外漢であった。

融資第三部は76年、経営危機に陥った大手商社の安宅産業の処理を担当する部署として設置された。以降、(86年に住友銀行に吸収合併された)平和相互銀行の不良債権などのやっかいな案件は専ら第三部に回され、イトマンから切り離された不良債権処理も第三部が担当することになったのだ。私は安宅問題の実動部隊として不良債権の処理や関連会社の立て直しに奔走したことがあったので、おそらくその時の経験が買われたのだろうが、「なんと理不尽なことなのか」と嘆息を禁じ得なかった。

イトマン事件とは、一言でいえばイトマンという商社を通じて何千億円という莫大なカネが闇社会に流れていった経済事件だ。その不良債権処理とは闇社会に流れたカネを取り戻そうとする作業にほかならず、様々な脅迫は容易に予想された。

70年代の安宅問題も確かに大変だった。しかし、当時は安宅を見殺しにすれば日本の総合商社全体の信用問題、そして総合商社に与信している銀行の経営問題にも発展しかねないという危機感があり、「日本のために必要な仕事」というぐらいの使命感に動かされていた。最終的に安宅の多くの事業部門を伊藤忠商事が継承し、少なくない数の関連企業が生き残ることができた。不良債権処理という一見、後ろ向きの仕事でも十分な達成感は得られたのだ。

しかし、イトマン問題の処理では安宅問題の時のような使命感は持ちえようがなかった。イトマン事件を引き起こした大きな要因のひとつは、「住銀の天皇」といわれた磯田一郎元会長の公私混同にあったからだ。それをきっかけに、闇社会に近い人間がイトマンに入り込んでいき、イトマンは闇社会の財布代わりに使われた。

94年9月14日、金融界を揺るがす事件が起きる。住銀の畑中和文・名古屋支店長が市内のマンションの廊下で何者かに射殺されたのだ。畑中くんは私の大学の後輩でもあった。「これは命がけになるな」――。当時の恐怖感は今でも覚えている。事件は結局迷宮入りし、背景は不明だ。

その後、私にも闇社会の影がちらついた。ある時、大阪出張から帰京すると東京駅からバイクがずっと後をつけてくる。気味が悪くなって自宅に近い警察署に駆け込んで事情を話し、警察にバイク男を捕まえてもらった。バイク男は「後をつけるように頼まれた」と白状したが、誰に頼まれたのかは決して明かさない。警察は厳しく注意して解放したが、また後をつけてくる。その執念深さにはぞっとした。また、ある時は、その筋とわかる男が自宅に押し掛け、強引に家の中に入り込もうとしたこともあった。

達成感の得られない仕事、不気味な脅し――。精神的にきつかったのは確かだが、銀行自身が招いた側面もあるので「こんなものだろう」と、どこか突き放して自分を見ていたような気がする。

ところが97年、頭取に昇格すると心の持ちようが変わってきた。自分が先頭に立って組織を引っ張るほかない。「殺すなら殺せ」という気持ちだった。もともと鈍感なほうではあるが、おそらく、全責任を負うほかないトップに立たされたことによって、腹をくくることができたのだろう。

読者の皆さんの中で、いきなり責任の重い立場に立たされて戸惑っている方もいらっしゃるかもしれない。しかし、いずれ慣れ、腹をくくることができる。そして理不尽にも向かっていける。私が得た教訓である。

西川善文
三井住友銀行顧問

東京五輪招致、日本のプレゼンに成功の7法則

「東京」がみせたプレゼンテーションは世界で最も価値のあるものだったのかもしれない。東京が投票権をもつメンバーの心をつかんだ45分間のプレゼンを展開した後、国際オリンピック委員会(IOC)は2020年の夏季五輪の開催地に東京を選んだ。SMBC日興證券によると、五輪開催の経済効果は東京とその周辺地域で400億ドル規模になるとみられる。東京がいま、お祝いムードにあふれているのは、経済効果だけではなく、21世紀に日本を改めてよみがえらせる力を感じているからだろう。

日本でのある報道によると、IOCで投票権を持つ96人の委員のなかで、当初は東京での開催には慎重だった委員たちも東京の最後の「お願い」に心をわしづかみにされたようだ。今回の東京の招致活動をプロデュースした、ロンドンを拠点とするコンサルタント「セブン46」の創業者で最高経営責任者(CEO)、ニック・バーリー氏によると、「プレゼンが優れていると、最初からの支持者にとっては、やはりその人に投票しようという、支持の気持ちを強める結果を生む。そして態度を決めかねている人は、プレゼンを見て支持に傾くだろう」。

バーリー氏が私に語ったところによると、最も難しかったのは日本人の登壇者を自分たちの居心地のよい殻から抜け出させ、いわゆる「西洋スタイル」でプレゼンを実行させることだった。この言い方は、私にもなじみがある。私の著書のいくつかがベストセラーとなっている日本で、日本の人々は私に、視覚に訴え感情豊かで情熱的で、エピソードがふんだんに盛り込まれているプレゼンは楽しいと話してくれた。中にはそれを「アメリカンスタイル」と呼ぶ人もいる。そんなとき私が伝えるのは、こうしたプレゼンは「西洋スタイル」でも「アメリカンスタイル」でもなく、どんな言語であっても人の心をつかむスタイルなのだ。

ジャーナリストやコミュニケーション、話し方の研究を25年間続けてきた私のキャリアをふまえて言うと、東京は2020年五輪の招致活動で、私がこれまでにみてきた中で最も優れているといえるチーム・プレゼンだった。ここで、今回の成功の背景にある7つの要素を挙げてみよう。あなた自身のプレゼンを五輪招致レベルに変身させる7つの法則でもある。

1.あっと言わせる瞬間を用意する

感動的なプレゼンには、私が「スゴい、なんだこれは!」とか「あっと言わせる瞬間」と呼ぶ、驚きに満ちて予想外で、聴衆から感情的な反応を引き出す瞬間がある。

IOCは、日本のプレゼンが「伝統的」(または格式張ったともいえる)ものになるだろうと予想していた。ところが、プレゼンはパラリンピック選手、佐藤真海さんのニコニコと輝くような笑顔で始まった。19歳でガンのため片足を失ったこと、それにも負けず、大学に入学し陸上を再開、パラリンピック選手になったこと。「私がここにいるのは、スポーツに救われたからです」。佐藤さんはこう聴衆に語りかけた。

バーリー氏によると、「従来のオリンピック招致の手法や日本の文化から考えると、初めに話をするのは年長のトップ級、例えば、都知事や首相からというのが相場で、聴衆はこうした伝統的な招致作戦が始まるだろうと思っていた。年配者がリーダーシップをとり上層部が厚いイメージだ。私たちはそのステレオタイプを壊そうと決めていた。真海が演壇に立った瞬間から、従来型のプレゼンではないことははっきりしていた」

2.映像と写真でみせる

私たちは、YouTubeに毎分100時間分の動画が投稿されるマルチメディアの時代に生きている。魅力的なプレゼンも写真や映像を含むマルチメディアを活用している。伝統的で格式ばったパワーポイントを使ったプレゼンだったら、スライドには多くの言葉を盛り込めただろう。その代わりに、佐藤真海さんのプレゼンの冒頭5分間は写真で構成されていた。そのうち何枚かは佐藤さんが義足で陸上競技に参加しているものだ。

映像が果たした役割も重要だ。東京のプレゼンでは音楽と写真、若い選手の動画を融合した、流れるようなビデオ映像を4本流した。「視覚に訴える部分は本当に、ビジュアルでなければいけないと強く信じている」とバーリー氏は言う。「この点は日本の標準的なプレゼン手法とは大きく異なっていた。多くの言語、多数の国籍で成り立っている聴衆を前にする場合には、言葉を映像で描くようなスライドを作りなさいとアドバイスした」。

3.10分ルールに従う

さまざまな研究から、私たちは10分たつと集中力を失い始めることが分かっている。プレゼンでは長くて10分おきに「ちょっと休憩」という時間をとる。そうして精神を落ち着かせてから聴衆を再び引き込み、ずっと集中して聞いてもらえるようにしてくださいと私は勧めてきた。東京のプレゼンはまさにこれを踏襲した。45分間のプレゼンで7人が演壇にのぼったが、4本のビデオ映像もあったため、1人の話が3~4分以上長いものにはならなかった。

4.個人的な話をしよう

人と人の気持ちをつなぐのに、物語は重要だ。ビジネスの世界ではそうした才にたけた人はほとんどいない。日本企業で連綿と続いてきたパワーポイント式のプレゼンは、他のどの国のビジネスシーンでのパワーポイント式プレゼンと変わりはなく、エピソードが語られることもほとんどない。東京の五輪招致プレゼンは違った。安倍晋三首相を含む発表者全員が、スポーツによって人生がどう変わったかを語りかけた。安倍首相の場合は1973年に大学で始めたアーチェリーだったという。アーチェリーが五輪競技に復帰した翌年のことだった。

プレゼンの口火を切った佐藤真海さんのエピソードも覚えているだろう。佐藤さんは2011年の津波とその直後の日々について語った。「津波は私の故郷を襲いました。私は6日間、家族の安否が分かりませんでした。私は家族が無事だと確認できましたが、個人的な喜びは国全体を覆う悲しみに比べれば大したことではありませんでした。私はいろいろな学校からメッセージを集めて故郷に持ち帰り、救援物資も持って行きました。他のスポーツ選手たちも同様でした。私たちは力を合わせて、自信を取り戻すためのスポーツ活動を立ち上げました。このとき初めて、私はスポーツの真の力を知りました。それは、新しい夢と笑顔を創造すること。希望を与えること。人と人をつなぐことです」

5.3つに絞る

私の読者なら、いつも私が話を3部構成にするようにと強く提唱していることをご存じだろう。伝えたいメッセージがよく聞こえるし、人間は短期的にはだいたい3つの事柄しか覚えていられないと科学的調査が示している。「3つのルール」は東京のプレゼンで徹底されていた。例えば招致委員会の竹田恒和理事長は東京がもつ3つの強み、運営、祝祭、革新について説明した。「まず運営です。東京では安全な体制での運営、またはそれ以上をお約束できます。次に祝祭。東京での五輪はこれまでにないような都市型の素晴らしい祝祭となるでしょう。最後に革新です。東京は世界のスポーツのために、可能な限りの創造性と技術を提供します」。他の発表者のほとんどが、メッセージに修辞的なしかけを盛り込んでいた。

6.情熱をみせる

聞く人を高揚させる話し手は、情熱や熱狂、興奮とともにメッセージを伝えられるものだ。強く感情に訴えるやり方に、プレゼンターたちはあまりしっくりこなかったようだが、バーリー氏は自分たちの殻を破ってIOCの人たちに、個人的に心を打つようにアピールするよう励ました。プレゼンターたちは個人的な話を盛り込み、笑顔をみせ、スポーツと東京という街への情熱を響かせる強い言葉を使うよう助言されていた。この結果、東京のプレゼンはIOCメンバーが予想していなかった、直接的で感情的なものとなった。

東京招致委員会の竹田理事長はこんな直接的で情熱的なアピールを聴衆に訴えた。「まさに今が、東京を選ぶべき時です。万全の運営をお約束します。五輪の価値を共有し支持する国民がいます。そして日本人は五輪をサポートするために、いとうことなく働ける国民です」。

どの話者もそれぞれの持ち時間の間にこぶしを胸にあて情熱を示すなど力強いジェスチャーを使っているのが分かる。これは小さいが目に留まるジェスチャーで、最後に映し出された映像の中でも、五輪に向けて練習を積む世界の子供に同じジェスチャーをさせている。

7.練習時間を確保する

素晴らしいプレゼンは、しっかりリハーサルされているものだ。9月の本番に向け、リハーサルは7月に始まった。各登壇者は言葉(プレゼンは英語とフランス語で行われた)、発音、そして話しぶりに注意して練習した。全員が早めに現地入りして、本番の会場に似せた講堂で1週間以上、リハーサルを重ねた。首相も最終プレゼンの前にリハーサルをしたほどだ。「練習は大切だ。練習すればするほど、緊張しなくなるからだ」とバーリー氏は言う。「もし本番前に緊張したとしても、自分はこれを何十回も繰り返したのだと思えば強い気持ちをもてる」

国全体の士気はあなたの次のプレゼンには関係がないかもしれないが、勝利はあなたの会社やキャリアの大きな成功を意味する。どんな言葉でもどこの国でも、この7つの法則が成功を招くことは確かだ。

By Carmine Gallo, Contributor

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(2013年9月26日Forbes.com)