宮内義彦(29)これから

次の世代にバトン託す
東京五輪、元気に迎えたい

規制改革の話になると熱くなってしまうが、普段は静かに読書をし、クラシック音楽を聴くのが好きだ。

いま新日本フィルハーモニー交響楽団の理事長を務めている。小澤征爾さんが設立した由緒あるオーケストラだが、なかなか財政は厳しい。企業や個人の寄付による応援を期待するが、根付いているとはいえない。

もうひとつのテーマが教育だ。私学経営を考える21世紀大学経営協会の理事長を仰せつかった。グローバル競争力を高められるようガバナンス改革をうながすのがねらいだが、歩みは誠にのろい。

沖縄懇話会という本土と沖縄の経済界の連携役をダイキン工業の井上礼之会長とともに務めている。沖縄の発展のお役に立てればとの思いからだ。また、家の宗旨のかかわりで、西本願寺総代にも就任した。仏教を学ぶ機会をいただいたと思っている。

仕事人生を通じて知遇を得た人は数えきれない。経済人はもちろん、文化人や政治家、官僚を含めて勉強会と称して集まるのも度々だ。飲み会もあれば真面目な読書会もある。同年生まれの「初亥会」も楽しい。ロータリークラブも意味がある。スポーツのおかげで交流の幅はさらに広がった。ゴルフもテニスも楽しいが、野球好きは子供の頃から。社長になって何度か東西財界交歓野球大会に出してもらった。メンバーには甲子園や東京六大学で活躍した人が結構いた。「宮内さん、球歴は?」と聞かれて絶句したが、草野球です、と答えた。

来年はオリックスの設立50年。半世紀前、大阪の小さな雑居ビルに集まった13人の中で最年少だったにもかかわらず「俺の会社」だと意識していた。会社は自分のものだと思っているのではない。社会からの預かりものである会社を、おかしなことにさせてはならない。その一心だった。

経営者としての賞味期限はずいぶん前に切れている。もちろんオリックスと縁が切れることはないだろう。しかし、大切なのは元気なうちに次へバトンを託すこと。それを意識するにつけ「一歩後ろへ」という思いを強くする。

戦後68年、日本はすっかり変わった。今の豊かさは想像を超えたものだ。一番素晴らしかったのは戦火に巻き込まれなかったことだ。これからもぜひそうあってほしい。社会に共助の精神が芽生えている。悪いことではないのだろう。何よりも自分の足で立ち、困難に立ち向かい、そして自分の頭で考えることを忘れてほしくない。

この世に生を受けたとき、3世代7人家族の一番下だった。今は3世代10人家族の最年長。長女純子は松田浩治に嫁し、孫海渡。長男誠は環と結婚し、孫陽太郎、創太郎。そして次男修。長男、次男ともにサラリーマンをやめ、起業している。一線を退いたら少しはアドバイスをしてやれるかもしれない。

78年になる人生。そのうちの50年を超える同時代を生きたのは妻伸子ひとりだ。伴侶とはよくいったものだ。あともうしばらくなのだろうか、と考えていたが、次のよい目標が生まれた。東京オリンピックを元気に迎える。これだ。

この1カ月、私の話にお付き合いいただき、心からお礼を申し上げます。

(オリックス会長)

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