宮内義彦(16)船舶不況

全隻取り戻し、自社運航
80年代、それでも成長続く

1980年代前半、世界の船舶ファイナンスは日本が牛耳っていたと言っても過言ではない。銀行、商社、リース会社が三つ巴で世界シェアの過半を握っていた。

船舶市況は浮き沈みが激しい。83年、船価が突然のように暴落しはじめた。世界の海に浮かぶ船舶の数は、あきらかに過剰だった。船舶不況の到来である。オリエント・リースにとっては石油危機後につづく2度目の試練だ。

船舶を運航する海運会社にしてみれば、船価が下がるだけでなく、用航料がみるみる下がってゆく。当然、リース料の支払いが滞る。われわれは値引きに応じる一方、手分けして物件の確保、つまり債権回収のために大車輪で船を取り戻した。

船の確保は綿密に計画を立ててのぞむ。こんな具合だ。どの船がどの港に着くのか、入念に調べて先回りする。その際、必要な手続きは管轄する裁判所で済ませておく。それに加え、われわれが用意した代替船員を連れて行くのがミソだ。船が入ってくると、法的な手続きを済ませ、船員をすべて入れかえて戻ってくる。

船舶担当の社員が総出で計画を練った。相手方にごねられたり脅かされたりしたこともたびたびあった。でも最後は一隻のこらず取り返した。その陣頭指揮に立ったのが橋本悦男君だ。

それでも抱えこんだ損失は膨大な額に達した。わたしが心がけたのは、確保した船舶のたたき売りは避けること。その船を使って1円でも稼ぎだすためには、自社で運航するのがもっとも効率的だ。こうして立ち上げた船会社がペルサス・シッピングだ。そこまでしたのは、船舶市況がいつか必ず回復するとの確信をひそかに持っていたからだ。

われわれより大きな規模で船舶ファイナンスを手がけていた日本の大手商社は、被った損失も大型だった。すべての船を底値で売り払って部門を解散した商社もある。

われわれも楽ではない。耐え忍ぶ日が続いた。市況はようやく数年後に上向き始め、締めてみれば辛うじて大損を避けられた。船会社をつくったのだから、他社が安値で売り出した船を買いもした。それが利益につながった面もある。会社がピンチに直面すると社を挙げてとことんやり抜く。その社風は、この頃に確立していたように思う。

約10年後のバブル経済の崩壊で会社は底なしの不動産市況に揺さぶられた。船舶に限らず、航空機や不動産など市況の浮沈が激しい分野にどの程度まで関わるか。今も確たる答えを持っていない。

もっとも、80年代は日本経済にとって高度成長期以来の黄金時代だった。会社全体も順風を受け、業績・業容ともに前向きで船舶不況の損失を埋めながら成長を続けた。それはまた、今日に至る多角的なグループ経営の基盤作りを進めた時期でもある。83年にはIBMコンピューター専門の合弁リース会社を日本IBMとモルガン銀行の3社で設立した。世界で会社が認知されてきたと実感した。

こうした基盤固めは、のちのバブル崩壊の痛手を乗り越える礎にもなった。

日本は造船王国だった。リース会社として建造を発注する立場にあったあの時代で思い出すのは、数々の派手な式典だ。起工式、進水式、引渡式……。船主としてのお付き合いもなかなか忙しかった。

(オリックス会長)

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Bubbles of river disappear rapidly.

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