宮内義彦(6)米国留学

想像を超える厳しさ
寮・教室・図書館往復の毎日

1958年7月、日本海汽船の神戸丸という1万トンの貨物船が米国西海岸へ向け神戸港を出帆した。数人なら旅客もはこべる船だ。

私費留学の手続きは大変だったが、父の友人のアメリカ人のお世話で、わたしは甲板に立っていた。結核はすっかり癒え、何でもみてやるという意欲がわき上がっていた。

太平洋横断には2週間を要する。1日を24時間30分に設定し、時差を調整しながら渡っていく。商船大を出たての3等航海士と仲良くなり、海図を広げて星空をみながら航路を修正する天測という航海法を教えてもらった。

船内には日本式の湯船があったが、そこで沸かすのは海水だ。真水の上がり湯は1杯だけと決められていた。

神戸丸はまずカナダのバンクーバーに寄港し、木材の積み下ろしをし、さらに1週間かけて最終目的地ワシントン州シアトルにたどり着いた。

入学先はワシントン大学の経営学修士(MBA)コース。9月の入学までのひと月を父の友人のブリテル氏宅に居候した。すぐそばの湖でモーターボートや水上バイクを楽しんだのもつかの間、ひとクラス20~30人ほどの小さなMBAコースは、想像以上の厳しいものだった。

2人ひと部屋の寮の自室、大学の教室、そして自分の机を与えられた図書館――の3地点をぐるぐる回る日々。課題書を読むのにネイティブの3倍、リポートを書くのに4倍程度、時間がかかる。成績が悪いと落第ではすまない。放校されてしまうのだ。

これまで日本人が何人か来たが卒業した者はひとりもいないと聞いて、よしと思った。

気を張りつめた日をすごすなかで、しだいに要領を得るようになる。講義のとき、発言はほかの学生より先にする。米国人学生には百戦錬磨の社会人がいた。発言が後になればなるほど、話の内容が複雑になり、ついてゆけなくなる。自分なりに身につけた知恵だった。

学期末、週末にはホッとする時間がある。国際週間で各国留学生による演芸会。数人の日本人留学生で「天の岩戸の物語」をオペラ仕立てで演じた。作曲・伴奏は児玉實英さん(同志社女子大学名誉教授)、主役はわたし。拍手喝采を受けた。グリークラブにも入り、気晴らしもできた。

ある日、留学生向けの奨学金を募集していると教授に知らされた。応募すると幸いにも合格。さかのぼって学費がまるまる返ってきた。そのお金でジャケットをあつらえたのを覚えている。

勉学生活もようやく1年がたった。夏休みには東海岸をみてやろうと、首都ワシントンのジョージタウン大学のサマースクールに通った。シアトルと違って日本顔負けの蒸し暑さだった。それを終えるとニューヨークに立ち寄り、安い大陸横断鉄道を使って西海岸までの旅行を楽しんだ。

ナイアガラの滝見物に立ち寄ると、カナダ側に渡らないと滝をみることはできないと知った。なんたる早とちり。パスポートはシアトルの寮に置いてきてしまった。

国境の係官に、1時間だけカナダ側に行きたいと言っても、当然にダメ。それでも粘って「上役と話したい」と掛け合ったら出てきた責任者らしき人がカナダ側に電話してくれた。「いまからパスポートをもたない日本人が行くからよろしく頼む」

(オリックス会長)

About sayfox
Bubbles of river disappear rapidly.

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。