宮内義彦(1)経営者として

日々ひたむき、前向きに
オリックスと歩んだ50年

オリックスは来年春、創業50年をむかえる。

そのときわたしは78歳。人生の3分の2をこの会社とともに歩んできた。1億円の資本金と13人の寄り合い所帯ではじめた会社に残っているのは、ひとりだけになった。

日本の産業界にとって未踏だったリース業という領域を切り拓くために発足した会社は、徐々に業容を拡大し、ほかにみないユニークな企業グループに成長した。株主資本が1兆7千億円の規模になったのは望外の成果といえよう。この会社の中核で働けたのは何と幸せなことだったろう。しかし今日まで長期ビジョンをもって進みつづけてきたかというと、それにはほど遠い。常に目の前にあらわれる問題に没頭し、いつの間にか半世紀がすぎてしまった。

45歳で社長になり、三十数年の間、企業経営の最前線に立っている。株主との関係や業績の低迷に苦労したことも1度や2度ではない。若いころは、会社が小さいからこんな目に遭うんだと考え、社業を拡大することに心血をそそいだ。しかし、その考えは正しくなかった。

会社が大きくなればなるほど、何倍、いや何十倍もしんどい難問に突き当たるのだ。肩に背負った重荷を降ろせるのはいつの日か。ようやく、そんなことを思う余裕が出てきたのも事実だ。

1980年代から、政府の仕事のお手伝いをするようになった。なかでも2006年までつづけた規制改革会議は印象深い。規制改革と聞いて、わたしの名を思い浮かべる人も多いかもしれない。それほど、この仕事に長い間かかわった。ひとりの経営者として少しでも公の役に立てば、という思いだった。

この仕事も心残りが多い。もっと頑張ればもう少し結果を残せたかなと思うこともあるが、一歩引いて考えれば、そもそも企業経営との二足の草鞋を履きこなすのは、どだい無理な話だった。規制改革をやりきろうとするなら、志と決裁権限を兼ね備えねば無理だ。それは学者でも行政官でもない。政治家にしか改革をなし遂げることはできない。

経営者として世に奉仕するには、自社を成長させ、よりよい商品やサービスを消費者に提供しつづけるしかない。やり残したことが多い規制改革だが、今となっては本当にあのとき以上にできたのだろうか、とも思う。

子供の時分、家の前の道をたまに自動車が通ると、あわてて駆けだし、後を追いかけながら深呼吸する。ガソリン臭い排ガスを胸いっぱいに吸い込むのだ。当時の少年にとってはいい匂いだった。そんなことを思い起こしつつ、来し方に目を凝らすと、わたしの人生は日本の激動の振幅が最も大きかった期間にあてはまるかもしれない。戦争と敗戦後の価値観の転換、人々の生活水準の向上のスピード、超インフレと長引くデフレ。

この長い間、両親や家族、友人、恩師、先輩に恵まれ、感謝してもしきれない。次の世代に恩返しする責任も痛感する。子供や孫の世代が住みよいと思う世を残せるのか。温暖化、貧困、公正――。難問ばかりだ。しかし今を生きるわたしたち、そして若い世代が渾身の力を振り絞れば、何とかなるはずだ。少し気恥ずかしいが、今もがんばった日は「ダン・グッドジョブ!」と言って床につく。

(オリックス会長)

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