篠原欣子(28)リーマン危機

「雇用を守る」固い決意
官公庁の業務、次々に受託

2008年9月15日、米投資銀行リーマン・ブラザーズが破綻した。これをきっかけにした世界同時不況の波は株安、円高となって日本経済を襲う。

日本企業は業種を問わず生産、流通、販売に急ブレーキがかかり、人材派遣業界も直撃を免れなかった。新たな派遣依頼がぱたりと途絶え、派遣契約期間が終わったら継続してくれない。

テンプスタッフも09年3月時点で、前年度に比べて派遣依頼が半減した。求人広告を大幅に手控えたため、新規登録スタッフ数も減った。赤字にはならなかったが、非常事態だった。

その年から事業連携の動きが活発化し、当社はピープルスタッフと経営統合してテンプホールディングスを設立、富士ゼロックスキャリアネット、コベルコパーソネルなどの株式を取得した。

私はどんな会社とのお付き合いでも「対等」を基本にして臨むことにしていたから、交渉を担当する役員や社員に「こちらが少し損するくらいでいいの。その方が後々、気持ちよく一緒に仕事ができるから」と言った。

経済環境が依然として厳しく「業界全体で1万人のリストラが必要」といわれる中で、私は「人材派遣会社が生き残りのためとはいえ、働く場を減らすなんておかしい。絶対雇用は守る」と決めた。まずは長期間登録して働いてくれているスタッフの仕事を確保すること。社員のリストラもしたくない。役員たちと議論を重ねた。

ちょうど経費削減を迫られた官公庁から大型受託案件が次々に舞い込んでいた。競争入札なので利益は望めないが、受託によってスタッフの仕事が生まれ、管理責任者として社員が常駐すればリストラを回避できる。つまりアウトソーシング分野への進出というテーマが浮上した。

「その仕事は私がやります」と手を挙げてくれたのは取締役の和田孝雄さん(現テンプスタッフ副社長)だった。こうして10年4月、和田さんを本部長とするアウトソーシング事業本部が発足した。

法務局の窓口業務を皮切りに、官公庁の仕事を次々に受託した結果、不況にもかかわらず多くのスタッフに働く場を提供でき、300人の社員が社外で仕事を始めた。

やがて顧客企業から「コールセンターを施設ごとお願いしたい」とか「事務センターを請け負ってくれませんか?」といった要望が寄せられるようになった。そこで宮崎市内に400席のアウトソーシングセンターを開設した。

派遣業界は設備が不要で工場もいらないという身軽さが身上だった。つまり「持たざる経営」こそ利益の源泉でもあった。それを「持つ経営」に転換したのは、雇用の創造を最優先したからだ。過去の成功体験に意味はない。

起業から40年。気がつけばグループ会社55社を含めたテンプホールディングスは今年3月期で社員5970人、売上高2472億円、国内拠点268、海外拠点27を数えるまでになった。

3月29日にパナソニックの設計開発子会社2社の過半数の株式を取得した。たまたま大阪に行く機会があって、昨年夏、松下幸之助さんの旧居を見学した。

起業して間もなく資金繰りにもがいていたとき、松下さんの本に書かれた言葉の数々に救われた。そのときのことを、ありありと思い出した。

(テンプスタッフ創業者)

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