篠原欣子(25)不眠不休

罵声・ゆすり、会社は戦場
スタッフに不安、悔恨の涙

記者会見の翌日、つまり1998年1月29日、問題の記事が載った週刊誌が発売されると、管理職ら20人が詰める対策本部は戦場になった。私は「営業活動をストップし、全社でスタッフ、クライアントへの説明と謝罪に専念すること」という指示を出した。すぐにスタッフの相談に応じる専用電話を並べ、各地の営業拠点に専任担当社員を2人ずつ配置した

そして会社のホームページ(HP)におわびと経過説明を掲載し、リストに載った9万人の登録スタッフ全員におわびの手紙を送り始めた。夜中まで宛名書きと封かん作業を続けたのは、夕方に仕事を終えた社員たちだった。

メディアが一斉に報じたため、スタッフから「なぜデータが流出したんですか?」「本当に漏れたデータは消去されたんですか?」「いたずら電話があったらどうしたらいいですか?」といった電話が鳴りやまない。

社員が懸命に謝りながら説明するのだが、自分の住所、氏名、生年月日、電話番号を見ず知らずの人物に知られているかもしれないというスタッフの不安の解消にはつながらない。電話のやり取りに関する報告に、私の胸はきりきりと痛んだ。

各地の営業拠点にいる社員にはスタッフの親からも電話がかかってくる。罵声も届く。一途に不安を訴える声をじっと聞かなければならない。それが毎日繰り返される。対策本部には、長くつらい仕事に耐えられず「もうできません」と泣きながら電話をかけてくる社員もいた。

そのうち「リストを持っているんだけど、どうしたらいいの?」というような電話が入るようになった。ゆすりたかりのたぐいだ。「おれを雇ったらすぐに解決してやる」というものもあったが、対策本部の社員たちは丁寧に、そして毅然と対応した。

ただスタッフの不安解消は急務だった。万一に備え会社で防犯ブザーを買い込んで、希望するスタッフに貸し出した。もしまだ消去されていないリストがどこかにあって、それが原因でスタッフに不測の事態でも起きたら取り返しがつかない。私も不安にさいなまれていた。

事態が沈静化しつつあった3月24日、青い顔の水田正道さんがやって来て「まだリストを売っているHPがありました」と声を落とした。2次流出?「ああ、もうだめだ」と心の中でつぶやく私に水田さんが言った。「私が何とかします」。水田さんの後ろ姿を祈る思いで見送った数日後、「解決しました」という報告を受けた。

事件が発覚してから対策本部の社員たちは不眠不休だった。しかし、その責任者の成田徹さん(現パーソナル社長)が「ここで負けちゃいけない。下を向かないでちゃんとやろう」とみんなを励ましていたことを知っていた。

リストの3次流出はなかった。リストが原因と思われる問題も起きず、スタッフの不安は日を追って薄れた。事態が落ち着いてきた5月23日、近くの会議場を借りて社員総会を開いた。520人の社員の顔を見た途端、目頭が熱くなった。私は名簿流出を知ったその日に経理部に行き、最悪の事態になっても1年間は全社員に給料を払えることを確認していたが、そんなことにならなくてよかった。

壇上で社員たちへの感謝と、情報を守れなかったことへの悔恨の涙が止まらない。

(テンプスタッフ創業者)

About sayfox
Bubbles of river disappear rapidly.

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。