篠原欣子(23)2つの迷い

株式公開、土壇場で中止
バブル期、ビル購入も撤回

新卒1期生が入社してきた1990年、私は迷っていた。ひとつは前年の暮れに動き出した株式公開問題だった。会社の業績は伸びていたが、業界トップ企業との差は小さくない。

地価が下がってからビルを買った
その差を縮め、トップの座を狙うためにも将来の上場を念頭に株式を公開すべきだ、という意見が役員の中から出てきた。私も「そうかもしれない」と思い、公開のための準備を始めることを了承した。

公認会計士、証券会社の担当者が頻繁に出入りし、担当セクションは膨大な資料づくりのために連日深夜まで作業を続けている。役員、社員は自社株を持っているから、公開されて高値がつけばちょっとしたお金が入る。「車を買うよ」「やっぱり海外旅行かな」といった会話があちこちで交わされるようになった。

ただ問題があった。そのころの登録スタッフは国民健康保険などそれぞれの立場に応じて何らかの社会保険に入っていたが、株式を公開すれば、全員が当社を雇用主として政府管掌健康保険に加入することが前提となる。

となれば当時は国保より政管健保の方が保険料が高かったからスタッフの負担が増える。それに派遣会社を替わるたびに、面倒な手続きをし直さなければならない。水田正道さんに意見を聞くと「スタッフがいやがって、他社に流れるんじゃないですか」と言ってきていた。

もうひとつの悩みは自社ビル購入問題だった。青山の本社ビルは手狭になっている。地価は「年率3割」の勢いで高騰し、銀行はいくらでも融資してくれる。「いま買わないでどうする」という雰囲気の中で、ある役員を中心に50億円のビルを買う話が不動産会社との間で進んでいた。

株式の公開も自社ビル購入も役員の進言だったが、成長のための投資と自分に言い聞かせた。ただ何かひっかかるものがあるのに「やめる」と決断する決定的な理由がみつからないのがもどかしい。

自社ビル問題は契約書に判子を押すだけというぎりぎりの段階で「買わない」と決めた。迷い続ける中で、身軽でなくなることへの不安を感じたからだった。担当の役員にそのことを告げ、不動産会社に同行を求めたが憤然とした表情で「先方に合わせる顔がない。行きません」と言う。

仕方がないので私ひとりで断りに行った。「だから女はだめなんだ」「いまごろやめるで通ると思っているのか」と罵倒されたが、じっと頭を下げていた。

そして店頭公開準備はほぼ終わり、証券会社が我が社の株に予想市場価格を付けた。あとは1カ月後の公開を待つばかりとなった92年3月、私は「公開中止」を決断した。公開担当の役員は「はしごを外された」と怒り、口論になった。証券会社の幹部にも罵倒された。

しかし公開したら持ち株の多い社員に大金が入って浮足立つようなことにならないか。そのことも心配でならなかった。

ほどなくバブル経済の崩壊とともに地価は暴落した。あのとき自社ビルを買っていたら、我が社は窮地に陥っていただろう。株式を公開していれば、水田さんが言ったような事態を迎えていたと思う。優柔不断か熟慮の末か。どちらにしてもふたつの決断は正しかったと信じている。

地価が下がってから代々木にあったビルを買った。27億円だった。

(テンプスタッフ創業者)

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