篠原欣子(22)社内改革

あつれき越え「企業」に
初の新卒、世代交代を呼ぶ

男性5人の連判状を受けとった1990年の4月、初めて新卒採用に踏み切った。どんな色にも染まっていない白いキャンバスのような若い人たちが入ってくるのを機に、会社を根本的に変える決意を固めた。

新卒社員が入社する前日付でかつてない規模の人事異動を発令し、数人の支店長をバックオフィス(管理部門)に配属して、後任に若い男性社員を充てた。

バックオフィスに移ったある支店長から毎晩のように自宅に電話がかかってくる。「社長がそんなに冷たい人とは思いませんでした」「これまでの苦労はなんだったんですか」という悲鳴のような声に心が痛んだ。やがて彼女は辞めていった。

支店でも数値目標を立てて顧客開拓をしようとする支店長と、従来のやり方を捨てきれない社員との間で理屈と感情を交えた応酬が続いていた。私はそれぞれの気持ちもわかったが、ぶつかり合いこそエネルギーの源。手出しせずにじっと会社が新しい形に順応するのを待った。

男女20人の新卒社員1期生が入ってきたのは、そんな混乱のさなかだった。当時はバブルの絶頂期で就職戦線は完全な売り手市場。大手企業があの手この手で学生を囲い込もうとしていた。

人材派遣業という業界自体が成長途上で、その中でもトップ企業ではないテンプスタッフに一体どれだけの学生が関心を持ってくれるだろうかと不安だった。

前年の会社説明会は青山の本社に近い「こどもの城」の1室を借りて開いた。予想に反して部屋いっぱいに学生が来てくれ、私は彼らの顔を見ているだけでうれしくてずっとほほ笑んでいた。

学生が訪問してきても会社に人事部がなかったから、私と水田正道さん、人事担当社員で面接した。話を聞いてみると全員が大手商社や不動産会社、生命保険会社、広告代理店などの内定をもらっていて、中には6社内定という学生もいた。

会社は組織整備と社内改革が始まったばかりだった。大手の内定をもらっている学生にとって、なんと未熟な会社だろうと思われるのではないかと心配だったが、そうではなくて彼らは「テンプスタッフは小さくてもこれからの会社だから、逆にやりがいがあるのでは」と考えて入社を決めてくれた。

彼らは過去のテンプスタッフを知らないが故に大胆な提案をし、精力的に営業に回った。同期で飲み屋に集まって、随分議論もしたらしい。そして2年から3年で支店長にあたるマネジャーに育ち、その後も社内ベンチャー企業を次々に興していった。

新卒組は会社に清新な風を起こした。バックオフィスに回った元支店長たちも入れ替わった会社の空気になじみ、新しい舞台で持ち前の力を発揮するようになった。

その年、私は全体責任者会議で「今期180億円を目指す」と創業以来初の売り上げ目標を掲げた上で「達成したら社長賞を出します」と宣言した。こうしてテンプスタッフは「企業」になった。私もどうにか「経営者」になり、この「第二の創業期」を経て会社はひと皮むけた。

グループの会長兼社長だった私は、安心してこの21日付で水田さんに社長のバトンを渡した。

(テンプスタッフ創業者)

About sayfox
Bubbles of river disappear rapidly.

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。