篠原欣子(18)女の底力

給与支払い、大わらわ
綱渡りの日々でも充実感

本社を乃木坂に移した1978年ごろの登録スタッフは約500人だった。(1)一般事務(2)貿易(3)英文タイプ・通訳・翻訳(4)秘書(5)経理(6)キーパンチャー――などの職種ごとに、あいうえお順にまとめた手書きの台帳で管理していた。

客先で仕事をするスタッフの働く期間、毎日の労働時間、時給などはてんでんばらばらだ。各自の働いた記録は半月ごとに郵送されてくる「タイムシート」に記されている。

それを一枚一枚見ながら8時間の法定労働と残業時間にわけ、時給と割増賃金をかけて賃金総額を算出する。そんな計算を4人の社員がそろばんでした。間違いは許されないから何度も検算するが、これもそろばんだ。電卓はあったが高価だった。

記帳に追われながらも、顧客からの電話が鳴れば彼女たちも応対する。毎晩、終電が当たり前。電車がなくなるとタクシー代を支給した。交通機関がストを構えたりすれば、彼女たちは貸布団屋さんから借りた布団を床に敷いて泊まり込んだ。

スタッフへの給与は毎月15日締めと月末締めの2回で、振込日も月に2回だった。振込日が近づくとスタッフごとに違う金額を振込用紙に書き込まなければならない。

振り込み処理日は、社員4人がスニーカーで出社した。銀行は午後3時で窓口を閉めるが、事前に通知して待ってもらっている。振込用紙ができあがると、その束を抱えて一斉に走り出す。銀行の裏口に駆け込んで、やっと胸をなで下ろした。

携帯がない時代だったから仕事をしてもらいたいスタッフと電話連絡が取れないときは電報を打った。「アシタカラシゴトシキユウデンワコウ」。すると数時間後、電話がかかってくる。いつも綱渡りだった。

こんな日々だったが私は楽しくて仕方がなかった。仕事に追われているという意識はなくて、20代から30代の社員たちの口からも「休みたい」とか「辞めたい」という言葉を聞いたことがない。

デスクに置いた小さな缶にポケットマネーを入れ、午後8時になると誰でもそのお金でビルの1階にある喫茶店に好きな物を注文していいことにしていた。社員は缶から代金を持って下の店まで食べ物や飲み物を取りに行った。

私たちは社長と社員ではなく、固く結ばれたチームだった。だから誰かの誕生日がくると、私はついついパールのペンダントやスカーフ、セーターなどを買っては贈った。動物好きの私はお返しにシャム猫をもらった。私がその猫を会社に連れていくと、犬を飼っている社員が愛犬を連れてきた。

ある日、電話を取った社員が顔を赤くしてもじもじしているのが見えた。「ああ、あいつか」と思った私は、その社員の受話器をもらって耳に当てた。

「パンツは何色?」。女所帯と知ってのいたずら電話が続いていた。私は大きな声で「赤よ」と言った。すると隣の社員が私から受話器を奪い「黒よ」。次々に好きな色を叫んで、私のところに受話器が戻ってきた。

「電話じゃ何もできないでしょ。こっちにいらっしゃいよ」と言って受話器をたたきつけた。

ひまな男もいるものね。見てらっしゃい、女の底力を。

78年度の売上高は7億7800万円。79年度13億2300万円。

(テンプスタッフ創業者)

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