篠原欣子(16)資金繰り

自転車操業で挫折寸前
松下幸之助の本、心の支え

会社を始めて半年後、電話番をしていた大学生の姪(めい)が学業に戻ることになった。スタッフがスキルを持った友人を紹介してくれたり、顧客企業から「あの会社がスタッフを探しているよ」という情報が入ったりして、次第に忙しくなってきた時期だった。

新聞に求人広告を出したら苗村悦子さんが応募してくれた。どこかの会社を辞めた後で、簡単な出納簿はつけられるというのですぐに採用した。社員第1号だった。

外回りの営業と登録スタッフへの職場紹介が私の仕事。スタッフへの賃金支払いを悦子さんに任せた。土日は顧客企業への請求書作りに充てる。それが終わると人目がないのをいいことに、スカートをたくし上げて事務所の掃除に汗を流した。

新聞広告に応じて仕事を手伝ってくれることになった悦子さんだが、来てみたら会社といっても私ひとり。しかも事務処理請負サービスという聞き慣れない仕事だ。いま思えば不安を隠して通ってくれていたのかもしれない。

でも真面目で誠実な彼女は私と差し向かいの机で黙々と仕事をこなし、お昼になると家から持ってきたお弁当を広げた。たった2人の会社だったが、2度目の決算で売り上げは9600万円と前年度の3倍になった。だが少しもうれしくなかった。

私は会社勤めの経験はあるが、お金の出し入れにかかわったことはない。だからスタッフの賃金を支払ってから顧客に請求書を出すという順番になることなど考えもせず、気楽なことに顧客から入った代金で賃金を払えばいいと思っていた。

お金が出てから次に入ってくるまで金庫は空っぽ。お金に追い回される怖さと苦労を初めて知った。留学時代のように節約で乗り切れる性質のものではなかったが、それでも服も買わず外食もせず、ぎりぎりまで切り詰めた。

どんなことがあってもスタッフへの支払いを遅らせるわけにはいかない。遅れればスタッフは離れていく。顧客とスタッフ双方からの信頼こそ会社の生命線だ。

そんな私が頼れる人は母しかなかった。事情を話して借金し、とりあえず給与の支払いを済ます。顧客から代金が入ると少し返してまた借りる。そんなことを繰り返した。

母は己拔(きばつ)兄から「欣子は何をやっているかわからない。もうお金を貸したらだめだよ」と言われていたから渋るしぐさを見せたが、最後は助けてくれた。母から都合してもらった当座の資金を懐にして会社に戻る電車のなかで「ごめんね」と心でわびた。

そんなとき喫茶店で会った友人に「もうやっていけないかもしれない。自信なくしちゃった」と言った。最初のチャレンジ精神も楽天的な見通しも消えようとしていた。

ある小さな会社を経営している友人は「石の上にも三年だよ。僕だって原付きバイクで顧客開拓に回って2週間で名刺を400枚も配ったけど、電話の1本もなかった」と励ましてくれた。

その言葉もありがたかったが、救いはいまのパナソニックを興した松下幸之助さんの本だった。深夜になると、当時借りていたアパートのベッドの中で松下さんの本を開く。すると行間から「もうちょっと頑張りなはれ」という「経営の神様」の声が聞こえるような気がして、涙がぽろぽろとこぼれた。

(テンプスタッフ創業者)

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