篠原欣子(13)起業前夜

人材派遣業と出合う
日本は男社会、帰国後実感

PRSA社では秘書だったからタイプを打つことが多かった。ロンドン時代に英文タイプの塾のようなところに通って、それなりに打てるようにはなっていたのに、やはり打ち間違える。すると最初からやり直しだ。打ち間違えた紙は捨てると目立つので、そっとバッグに隠した。

同僚には豪州人だけではなくフィリピン人もいればフランス人もいた。ということはそれぞれ背負っている文化が違う。母国語が違う。味覚もファッション感覚も違う。

そんな多様な文化を認め合い、尊重するすばらしさを知ったのは大きな収穫だった。そしてシドニーでの仕事や生活に不満はなかった。

しかし、日がたつにつれて日本への思いが募っていった。私はいつまでたっても、この国では外国人の1人だ。日本人同士のように目線で語り合うとか、あうんの呼吸でわかり合うということもない。もともと永住するつもりで来たわけではないから、いつか帰る気でいた。1973年3月、帰国することにした。

帰ると決まってから、PRSA社に臨時社員を派遣していた会社を紹介してもらい、3時間ほど見学した。女性ばかり数人でやっている会社だった。部屋の隅に座って様子を見ていると、いろいろな会社から電話がかかってくる。

電話に出た社員は「どんな技術や専門知識を持った人材がほしいのか」「何人か」「期間は」といったことを聞く。次に登録している人材リストの中から、先方の希望に該当しそうな人に電話して働く意思があるかどうかを確かめる。本人が承諾すれば依頼してきた会社に連絡する。

このシステムなら必要な期間、必要な人数だけ雇えるし、働く方も好きな時間を選んで働ける。知ってみれば簡単だが、思いつきそうでなかなか思いつかない仕組みだ。

ロンドン留学時代、英語の勉強のために読んだ本の中に、人材派遣システムについて書いたものがあった。そのときはぼんやりとしか理解できなかったが、いまこうして派遣の現場を見ていると、すべてがふに落ちた。

「なんて便利なシステムなんだろう。日本にはないやり方だな」と思った。といって日本に戻ってから自分がそんな会社を興そうなどと考えていたわけではない。何となく会社のパンフレットをもらってトランクにしまった。

シドニーに1年半いて戻った日本は、やはり懐かしかった。低い木造住宅の群れ、商店街の人混み、小学生が背負うランドセルまで見ていて楽しい。しばらくは生まれ育った国の匂いにひたっていた。だがいつまでもそんなことをしてはいられない。

求人広告を見ていくつかの会社に応募した。「英文タイプが打てます」と言うと就職には有利で、景気も良かったからすぐに内定をもらったのだが、なぜか就職する気にならない。面接で訪ねて行った会社は職種が違っていても、そこにいる男性社員は申し合わせたように黒っぽい背広姿ばかりだ。

ふとシドニーで働いていた会社と比較している自分に気づいた。日本の会社では相変わらず女性は事務服を着て男性の補助。男も女も以前と少しも変わっていない。シドニーで伸び伸びと働く経験をした私は、そんなところに埋もれてしまうのが怖かった。

申し訳ないと思いながら、内定をくれた会社には丁重にお断りを入れた。

(テンプスタッフ創業者)

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