篠原欣子(8)挙式

やり手の社長、兄は反対
不信が募り3カ月で家出

東洋電業での秘書の仕事は私の身の丈に合っていたらしい。平穏な日々が過ぎていく。そして気がつくと26歳になっていた。当時の常識では婚期を逃すかどうかぎりぎりの年齢を迎えている。

あれから縁談めいた話もなく「このまま独りで生きていくことになるのだろうか」という思いがよぎることもあった。そこに知人の紹介で9歳上の男性が現れた。

不動産会社の社長で、いかにもやり手という印象だった。最初はごく普通に、やがて強引に私をたぐり寄せるようになった。「結婚してくれ」と言われ、半ば覚悟していた私はうなずいた。

父親代わりの己拔(きばつ)兄が彼と会った。1度しか会わなかったのに、兄は「あの男は信用できない。結婚には絶対反対だ」と言う。態度。話し方。いわゆる人となりに不審な点が多いと兄は感じた。

でも彼を信じていた私は「大丈夫だから心配しないで」と譲らなかった。年上の男性に父親を感じる心理が、またしても動いていたのかもしれない。私の性格を知っている兄は、やがて説得を諦めた。

こうして会社の上司や同僚から「幸せになれよ」「おめでとう」と祝福されながら、東洋電業を退社した。2度目の寿退社だった。

話を進めるしかないとなったら、兄が「仕方がないなあ」という顔をして段取りを整えてくれた。兄が探してきた東急二子玉川園駅に近い「柳屋」という旅館で挙式した。

新居は練馬の石神井公園に近い新築の戸建て住宅。不動産会社を経営する彼にとって、新築の家を用意するのはわけもないことだった。

私は近所で「奥さん」と呼ばれ、会社こそ小さいながら社長夫人だった。慣れない手で朝の味噌汁をつくり、晩のおかずも何品か食卓に並べた。彼は朝早く出かけ、夕方に帰ってくる。一緒にいる時間は限られていたのだが、妙な違和感が彼の回りに漂って消えない。

ときどき誰からか電話がかかってきて、足を忍ばせるように出て行くことがあった。「女の影」とは、こういうものをいうのだろうか。

ふと考えた。私は婚姻届に判子を押していない。いや見てもいない。式を挙げて一緒に暮らすようになれば、それで夫婦になるのだと思っていた。無知といえば無知。でも家族や親戚を大勢招いて式を挙げていながら籍を入れない方がおかしくはないのか。

挙式の前に彼から聞いた話、彼が兄に言っていたこと、それから最近の彼の言動をつなぎ合わせると、あることが浮かんできた。

彼には奥さんがいる。心は離れているし彼は離婚したがっているのに、奥さんが離婚に応じない。いずれ離婚が成立したら私を籍に入れるつもりで同居を始めた。

そういうことなの?それならいまの私は、どういう存在なのだろう。

同居を始めて2、3カ月がたっていた。彼に対する気持ちは風船が破裂したみたいにしぼみ、心は凍えていった。「こんな男とは暮らせない。1日たりとも我慢できない」

彼が留守のすきに大井町まで出かけ、不動産業者に紹介された3畳1間のアパートを借りた。次に彼が遠出するとわかっていた日を指定して運送業者の車を手配した。

その日、家の裏口に止まったライトバンに少しばかりの荷物を積んで、手紙も置かずに家を出た。

(テンプスタッフ創業者)

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