渋谷の客を新宿が奪う 都心版ストロー効果の光と影

東京都心で駅や鉄道路線の改造が活発だ。利用者の利便性が増し、同時に日々の消費行動を変えていく。列車から降り、改札口を抜け、店に入るまでに、合計で何歩、足を動かす必要があるかが、店選びを左右する。地方で中核都市が栄え、周辺市が寂れる現象を「ストロー効果」と呼ぶ。東京都心でも、同じ現象が起き始めているようだ。

■存在感増す三丁目

ここ数年、消費の街として日を追って存在感を増しているのが「新宿三丁目」だ。JR新宿駅から見て東の一帯。アルタから紀伊国屋書店、伊勢丹を経て、寄席の末広亭や老舗居酒屋どん底のある「ツウ」向けの裏町へと続く。

「新宿三丁目」交差点に面した伊勢丹。角地部分は、もとは買収したライバル店の店舗だった
特に存在感を増しているのが伊勢丹周辺だ。駅からやや遠く、以前は「わざわざ」足を延ばすエリアだった。伊勢丹が神田から移転したころには、駅から数百メートルを歩いてもらうために知恵を絞ったという。

現在の伊勢丹の建物のうち、「新宿三丁目交差点」に面した角地は、かつて「ほていや」という別の百貨店だった。隣接するライバル社を買収し、各階の床をつなげ、広いフロアを確保したことが、現在の魅力的な店作りにつながっている。

そこへ近年の「新線」誕生だ。交差点の真下に地下鉄副都心線の新駅が誕生。池袋を経て埼玉方面に延びる東武線に続き、今年春は、渋谷駅の大改造で、渋谷を経てから神奈川へ延びる東横線とも直通運転が始まった。

このことが伊勢丹への一極集中ともいえる効果を引き起こしている。本紙記事によれば、副都心線新宿三丁目駅の1日あたり乗降客数は5割増。旧ほていや部分に開いた地下玄関からの来客数は1割増。同社は数年前、先手を打って、この地下道に直結する入り口付近をきれいに改装している。副都心線・東横線の渋谷駅が地上2階から地下5階に変わり、地上に出るのが面倒だからと新宿に足を運ぶ人もいるそうだ。渋谷から新宿へシフトする客を狙い、若い女性向けのかわいい雑貨を強化と、ぬかりはない。

伊勢丹だけではない。周辺でバー「MARUGO」など複数の飲食店を長年経営するワルツ(東京・新宿)の大竹信子氏は「遠くからこのエリアを訪れる人も年々増えている」と証言。傘下の店舗数を増やす。

大都市と地方都市を結ぶ交通網や道路が整備され、便利になると、地方が発展するのではなく、大都市に人もカネも吸い寄せられる。これをストロー効果やストロー現象と呼ぶ。北海道なら札幌、九州なら福岡(博多)など、中核都市がどんどん栄え、他の県庁所在地などの大型店が苦しくなったり、郊外の商店街がシャッター街になったりしていくわけだ。消費者は自家用車や高速バスで買い物に出かけ、地場の百貨店は衰退する。

■渋谷駅ホームから出なくてもいい

これに似た現象が、東京のような大都市の内部でも起こり始めている。目や舌の肥えた消費者は、こだわりのある、すなわち、売り手から見れば付加価値の高いモノやサービスを買おうとする時ほど、遠方へ足を運ぶ。これまでは、距離に加え、乗り換えや、駅からの歩きが壁になっていた。しかしその心理的な抵抗感も、直通運転や「駅・地下街に直結」の施設が増えることで、だんだん解消されていく。

これから当面、危機を迎えるのは渋谷駅だ。渋谷始発の東横線に乗り換えるため、「仕方なく」渋谷駅や周辺の店を利用していた人が、ホームから出てこなくなる。すでに直通運転によるマイナスの影響が駅の乗降客数や商業面で出始めているという話も伝わる。これから駅全体の大改造が長く続く。建物が一新される頃には東急沿線住民の人心が離れていないか。「東急」ブランドへの忠誠心に頼ることなく、グループ全体で慎重なかじ取りをする必要があるだろう。

さて、こうした「地下鉄・地下街直結」の商業施設が増えることは、見えにくい部分で、マイナスの影響ももたらす。「施設の全体像」を目にする機会が少なくなることで、施設のブランド価値がじりじりと減ることだ。

例えば本を読むとき、私たちは表紙を眺め、目次に目を通し、中身を読む。部分的な拾い読みであっても、著作の全体増や著者名は常に意識している。一方、インターネットで文書を読むときは、検索でひっかかった文章だけをピンポイントで読むことが多いのではないか。書き手の姿勢や、送り手が当該の文章に与えた位置付けなどは二の次になる。

■「ここに来たぞ」との思い薄れる

商業施設の利用もそれに似ていないか。地下の入り口からスルリと入り、目的の売り場に直行する。店や街の全体像は意識されない。合理的だ。しかし店舗側にとっては、いささか寂しい話だ。消費者の側にとっても、ある施設が提供する文化の総体に触れる機会を逸しかねない。

例えば東京ディズニーランドを思い出したい。チケットを買い、入場し、商店街に相当する部分を抜け、広場の向こうにシンデレラ城が目に入る。「ついにまた来たぞ」という高揚感をここで感じるわけだ。

仮の話だが、隣接する駐車場から地下道を作り、何かの人気アトラクションの裏手にひょっこり出られる入り口があったとしたら?確実に便利だ。無駄も減る。しかし、あの「正面入り口」の高揚感は得られない。財布のヒモの緩み具合も変わるだろう。

百貨店も似ている。豪壮な玄関、礼儀正しく迎える案内カウンターやエレベーターのスタッフ。そうした仕掛けが醸し出す「特別感」は、出入りが便利になるにつれ、目減りしていく。単なる「便利なだけの店」では、ディズニーランドのお土産のような目的外の買い物は起こりにくい。

改築した歌舞伎座。地下鉄利用者も、いったん写真右端の出入り口から外に出て、同左端の玄関まで外を歩く構造をあえて採用した
思慮深い建築家は、すでにそのことに気づいている。先ごろ全面建て替えが終わった東京・銀座の「歌舞伎座」がそれだ。

以前とは違い、地下鉄改札を出た地下街から、そのまま段差もなく地下の売店が並ぶ地下の広場に入れる。珍しい菓子や弁当などが並び、和服の女性たちでにぎわう。いま東京でもっとも「粋」な商業施設と言えるかもしれない。しかし、ここから歌舞伎の公演を見るため移動しようと思うと、いったんエスカレーターを上がり、地上に出なければいけない。建物正面に沿ってしばらく歩き、以前同様、街に面した正面玄関から入るのだ。ひさしがあるので多少の雨ならぬれずに済む。しかし、ふつうに考えれば、内部だけで移動できるほうが快適だろう。

■特別な空間でストローから逃げる

日経ビジネスオンラインで、設計した建築家の隈研吾さんが、狙いをこう語っている。「不便じゃないか、という声もありますが、やっぱり正面玄関を通っていただきたかったんですよ。直接つないじゃうと、祝祭性が薄くなるので、ここは観客の方に歩いていただこうと」

駅も、百貨店も、映画館や劇場も、かつては堂々たる正面玄関を持つ特別な空間だった。いま、たとえばショッピングモールに入居する映画館は「映画コーナー」であり、「館」ではない。地下街や駅とつながる商業施設も、便利になる代わりに、表紙のない本のようになった。知らぬ間に施設に入り、知らぬ間に退出する。お気に入りの「ショップ」があっても、その店が入居している駅ビルやモールなどの「施設名」を即答できない人にもときどき会う。

便利さだけをひたすら追求するか、新たな「特別な時間と空間」の演出方法を見いだすか。地方に続き、これから大都市でも人口減と高齢化、移動や消費の減少が本格的に始まる。ストロー効果でスキップされるかもしれない街や店ほど、この課題に今後、真剣に取り組む必要が生じるのではないか。

編集委員 石鍋仁美