渡文明(25)石油連盟会長

「脱石油」政策見直し訴え
念願の新法、退任時に道筋

社長になって3年後に、石油連盟会長のお鉢が回ってきた。社名を新日本石油に改めた翌年の2003年のことだ。当時、石油業界は、様々な問題に直面していた。

例えば東京都の石原慎太郎知事が、トラックなどが使う軽油はすすがたくさん出てけしからんと、記者会見でペットボトルからすすを振り出して話題になっていた。

都と神奈川、埼玉、千葉の3県は、03年10月から排出基準を満たさないディーゼル車の乗り入れを禁じる措置を講じた。トラックやバスなどは粒子状物質(PM)除去装置をつけ、石油業界も硫黄分を100PPM(0.01%)以下から50PPM以下に減らした軽油を販売した。

さらに規制は07年から10PPMまで強化されることになり、石油連盟として前倒しして対応する方針を決めた。05年から世界に先んじて硫黄分10PPM以下の軽油を供給すると発表して、私は早速、石原知事を訪ねた。

「知事の言われたように改善しました。すすはもう出ません」と報告したら、石原知事は喜んで表彰状をくれた。「表彰状も結構だが、知事がすすをまいたおかげで軽油の販売が減りました。もう一度、改善前、改善後をやって見せて下さい」。知事は大笑いしたが、してくれなかった。

小泉純一郎首相が沖縄の宮古島で自動車用ガソリンをすべてバイオ燃料に切り替える実験をやろうと大号令をかけた時も大変だった。業界として、思いとどまってもらおうと役所に働き掛けたが駄目で、2人だけで話す機会を何とかつくってもらった。

一計を案じて紙芝居のような図解を3枚用意した。しかし会うなり、小泉首相は持論を話し出す。

「総理、私は慶応の先輩です。すみませんが、15分だけ黙って私の話を聞いてください」と意を決してお願いし紙芝居を始めた。時の総理大臣に勝てるのは、年齢と卒業年次くらいのものだ。

さすが話が早い。一発で理解してくれて「何でこの話を経産省や環境省に持っていかないんだ」と怒られた。「冗談じゃありませんよ。総理が役所の話を聞こうとされないのでは」。「わかった。この紙をくれ」と言われて持ち帰られた。その後、バイオ燃料の問題は沈静化した。

5年間の任期中、最も力を入れたのは「脱石油」政策の見直しだ。会長に就任した時から訴え続けた。石油ショックによって、石油依存度を下げようと石油代替エネルギー法ができた。その後、依存度がどんどん下がっても、相変わらず石油だけ減らせというのは合点がいかない。

石連会長を退任する時には、主張がようやく認められた。代エネ法を廃止して、石炭なども含めて化石燃料の有効利用などをはかる、エネルギー供給構造高度化法を制定する方向が固まったのだ。

この新法に私はもう一つの狙いを託した。過剰設備の削減だ。石油製品を生産するトッパー(常圧蒸留装置)に重質油分解装置をつけると無駄を減らせる。経済産業省は同法に基づき、この装備率を13%とする告示を出した。

分解装置を増設するには巨額の資金を要する。従って装備率の低い会社は、分解装置をつくるより遊んでいるトッパーを廃棄する方が得策だ。

この結果、過剰設備対策が一気に進んだ。

(JXホールディングス相談役)

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Bubbles of river disappear rapidly.

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