渡文明(23)JXへの道

交渉大詰め、病床で作戦
統合見届け相談役に

新日本石油と新日鉱ホールディングスが経営統合して、現在のJXホールディングスになる発端は私の社長時代にまでさかのぼる。

JXホールディングスの初代社長になる高萩光紀さんが2002年に、ジャパンエナジーの社長になった。そのころから2、3カ月に1回くらいの割で、高萩さんと2人で食事をしながら、今後の石油業界のあり方について、いろんな構想を語りあった。

高萩さんは後にジャパンエナジーの持ち株会社の新日鉱ホールディングスの社長になって、新日石との統合を主導する人である。2人で議論するうちに、新日石とジャパンエナジーを合併したらどうかという話にも発展した。高萩さんからその意志を示す手紙をもらったこともある。

一緒になるとしたら、どんな方式があり得るのかについても話が進んだ。

高萩さんは当時、日鉱金属と経営統合した新日鉱ホールディングスの取締役も兼ねていた。その成功体験に基づいて、ホールディングス方式がいいのではないかという意見だった。持ち株会社の下に、いろいろな事業会社をぶら下げるというアイデアである。

それはいいなというところで話はひとまず終わったが、8年後に私と高萩さんとで議論した構想が実を結ぶことになって、運命のようなものを感じた。

しかしその前に、三菱石油との合併の仕上げに力を入れた。まず興亜石油と三石系列だった東北石油を完全子会社にして、この2社を新日本石油精製に合併させた。ちなみに新日石精製はJX発足時に本体が吸収して、製販を一体化した。2008年に九州石油を吸収合併して一段落し、新日鉱ホールディングスとの統合を本格的に考えた。

当社の西尾社長と高萩社長は同期で、具体的な交渉は社長同士でやった。私は会長として西尾君と十分に打ち合わせて、合併比率や人事などの重要事項について指示した。周囲から統合のメリットはどうなのかなど様々な意見が聞こえてきたが、最終的に統合を決断した。

交渉が煮詰まりつつあった2008年10月に私は椎間板ヘルニアの手術で入院していた。西尾君と毎日、病室で2人で作戦を練った。

とりわけ重要なテーマは、統合後のトップ人事である。「経団連副会長をしている渡さんには、会長をやってもらわなければならない」。社長には高萩さんを、自分はエネルギー会社の社長を引き続きやりたいという案を持ってきた。

私は考えて「高萩さんの社長はいいが、私が会長になるのは駄目だ。私は引くから、君が会長をやれ」と言ったら、驚いたようだ。もし私が会長にとどまれば、西尾君がエネルギー会社の社長になり、そのまま5年やったら世代交代が大幅に遅れる。押し問答の末、最後は私の考えをわかってくれた。

2010年4月、JXホールディングスが誕生し、私は相談役に退いた。西尾君は会長になり、JX日鉱日石エネルギーの社長に、62歳の新日石の常務だった木村康君が就いた。

私は会長を5年やって73歳になっていた。新しい会社は、次の世代に任せるという私の構想が実った。

(JXホールディングス相談役)

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