渡文明(18)再編の波

合併して「日石三菱」に
曲折経て誕生、副社長拝命

石油業界では1980年代半ばから業界再編成の動きがにわかに活発になる。経済構造が変わり、石油元売会社が13社もやっていけるわけがなかったからだ。

85年に昭和石油とシェル石油が合併して昭和シェル石油ができたのが第1弾である。日本石油は90年代なかばごろ、コスモ石油と水面下で話し合ったことがある。

大澤秀次郎社長は常務の私を連れて、コスモの岡部敬一郎社長と冨安正剛常務の2人と何度か会って話をした。サービスステーションのマークをどうするかなど、かなり具体的なところまで進んだが、結局、この話は流れた。

岡部さんは、当社の建内元会長の京都大学の後輩で、石油連盟の会長になる時も建内さんの支持を受けて、いい関係だった。しかし建内さんは既に一線を退いていて、私たちは岡部さんに嫌われたのかな。

大澤社長から三菱石油と合併する方針だが、どうかと打ち明けられたのは、98年の年明け早々だったと思う。どのような会社にするか営業面から考えて、この件にかかわってくれと言われた。

三菱石油とは84年に業務提携したので、人的交流などを通じて合併の素地はあった。それが具体化に向けて急に進展したのは、三石の業績が急激に悪化し、おまけに汚職事件を起こした石油卸商の泉井石油商会への資金流出事件でキズを広げたからだ。

支援していた筆頭株主の三菱商事が単独での再建を無理とみて、当社に合併を持ちかけてきたのだ。98年の3月ごろ、当社の箱根のゲストハウスで三菱商事側とひそかに会談した。こちらは大澤社長と私、三菱側は川澄一明副社長と河村宏専務である。

だいたい固まっていたが、詰めなければならない問題がまだ残っていた。いろいろ議論して、その日、めでたく基本的合意に達した。

翌日、ゴルフ場のクラブハウスで4人で食事をしようと食堂に入ったら、間の悪いことが起きた。三菱石油の前会長の山田菊男相談役ご夫妻と特約店の神奈川菱油(現アセント)社長の堀内保彦さんたちが食事しているのに出くわしたのだ。なぜ三菱商事と日石の連中が一緒にいるんだと、変に思われて当然だ。

女性は勘が鋭い。山田さんの奥さんが河村さんに「あなた、お見限りが早いわね」というようなことをちらっと言った。前の晩に決めたばかりだから、一同ギクッとして「いやいや」とか言ってつくろったが、冷や汗ものだった。

後で当時三石の社長だった泉谷良彦さんに聞くと、当初は昭和シェル石油と合併するつもりだったそうだ。三菱商事もそうさせようとはかり、三石も昭和シェルとの合併に向けて動いていた。ところが日石に話が急に変わったので驚いたという。

その年の6月、私は副社長に昇格。10月に両社長が翌99年4月に合併すると発表し、新社名は「日石三菱」に決まった。器を一つにするのは簡単だが、末端の販売ネットワークまで気持ちが一つにならないと合併は成功しない。

新会社は、会長に三菱石油の泉谷社長、社長に日石の大澤社長が就いてスタートした。私は副社長を拝命した。

そして合併の仕上げを担う大役が次に待っていた。

(JXホールディングス相談役)

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