渡文明(11)本社とケンカ

独自に系列店を組織
怒られつつも認められる

大阪支店での仕事には、石油製品を造る仕組みを実地に学んだ新潟製油所での4年間の経験が生きた。

当時は灯油の需要がうなぎ登りで、冬場に品不足が起きた。私が勤務する日本石油が後に吸収合併した興亜石油の大阪油槽所ができたころである。

貯蔵タンクはまだ新しい。タンクから油を出す口は、底にたまる不純物を避けるために50センチメートルくらい高い位置についている。新しいタンクは沈殿物がまだない。一計を案じて水を入れて底の方の油も浮かせて抜くようにさせた。もちろん品質には問題ない。

タンクにためた灯油を残らず供給できたので、足りなくて困っていたお客さんに大変感謝された。新潟製油所でタンクの構造を見ていたから、思いついたアイデアだ。

いいと思えば、上司にいちいちおうかがいを立てずに、どんどんやった。1960年代後半は公害が社会問題になり、硫黄酸化物による大気汚染対策が大阪でも課題だった。府は工場が使う重油に含まれる硫黄分の割合を規制した。実際の規制値は、各工場の使用量とボイラーの形式に応じて計算するので、工場ごとに違っていた。

しかし石油会社はタンクの数に限りがあるので、大まかな刻みで生産する。出荷段階で個別に調合して規制値に合わせなければならない。面倒でかなりコストがかかる。

よい方法はないか。同業の若手を募り、皆で知恵を絞った。その中に大久保武彦君がいた。慶応の矢内原ゼミの後輩で、共同石油(現JX日鉱日石エネルギー)の第1期生だ。なかなかできるやつだった。

わいわいやるうちに名案が浮かんだ。個々の工場に課された硫黄分の規制値を平均すると、たまたま1.5%だった。しめた。これなら硫黄分1.5%のA重油に一本化できる。

方式を具体的に練り上げて大阪府にかけ合い、府と一緒に使用油種をA重油に指定する「ブルースカイ計画」を69年に策定した。

硫黄分の多い安い重油を使っていた需要家は、A重油に切り替えると負担が増す。石油業界は油種の一本化でコストを削減できるので、A重油の価格を下げて納得してもらった。規制する大阪府は楽になり、業界や需要家もみな満足して三方よしである。

薪炭店や米穀店を灯油販売の系列店に組織する仕事も、独自に進めた。東京本社は、地下タンクを持つことを店を選ぶ条件にした。地方にそんな大きな薪炭店はない。

本社とだいぶやりあったが、らちがあかないので、構わずタンクが無い店でも系列化に踏み切った。本社には粗製濫造と映ったのだろう。

本社に出頭命令を受け、「何をやっているんだ」とものすごく怒られた。しかし契約済みだから後の祭りだ。タンクの無い小さな店は管理する手間が大変だというが、売れればいいじゃないか。私は何と言われようと平気だった。

ゴルフを始めたのもこのころだ。カネが無いので、留守番で入った支店長社宅の応接間を練習場にした。引っ越しに使った段ボール箱を積み上げて、それを的に打ち込んだ。

公私ともに相当やんちゃなことをしたが、東京本社は半面、あいつは使えるなと思ったようだ。大阪から東京への転勤には、薪炭店の件で私を怒った販売係長の福田潮さんの口添えもあったらしい。

(JXホールディングス相談役)

About sayfox
Bubbles of river disappear rapidly.

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。