渡文明(4)入社試験

合格は意外、心境複雑
将来の海外進出信じ期待

日本石油の入社試験に合格した時、実は複雑な心境だった。ぜいたくな話だが、本命は別にあったからだ。大学のゼミで国際経済学を専攻して海外志向だったので、商社を目指した。第1志望は三菱商事や三井物産である。

そこが駄目なら、東京海上火災保険(現東京海上日動火災保険)もいいなと思った。当時、ボーナスが10カ月以上も出て、給料がめっぽうよい。損害保険の代理店の仕事をしていた父から聞いていた。

石油業界では当時、積極経営を展開していた丸善石油(現コスモ石油)に興味を持った。石油も海外と関係が深いから、丸善も受けようかと考えた。

父は仕事の関係で十条製紙(現日本製紙)の金子佐一郎社長と親しかった。ある日、金子さんから「お宅の坊や、そろそろ大学を出るころじゃないの」と聞かれた。「丸善石油を受けたいようです」と父が答えると、「だったら娘が日石の坂牧さんの息子さんに嫁いでいるから、日石を紹介してあげるよ」という話になった。坂牧善一郎さんは日石の常務から後に日石化学社長になった方である。

父から話を聞いた時は「日本石油?そんな会社は知らないよ」と全く乗り気でなかった。だが調べたら、丸善より大きな会社ではないか。気が変わり、願書を出したが、締め切りを過ぎており、受験番号は1000番台である。倍率は10倍を超す。坂牧さんの推薦状は受験資格を得るためで、合否に関係ない。

駄目だろうが、度胸試しにはなる。9月の日石の入社試験は気楽だ。本命はあくまで10月1日の三菱商事である。ところがその前に日石から合格通知の電報が来た。三菱商事をどうしよう。迷ったが、坂牧さんを紹介してくれた金子さんの顔に泥を塗れない。

日石も原油を輸入したり米国に子会社をつくったりして、海外ビジネスを展開している。男らしい仕事じゃないか。せっかく神様が与えてくれたチャンスだ。よし、この会社のお世話になろうと、前向きに考え直した。

人生は何が幸いするかわからない。もし三菱商事に入っていたら、たぶん社長になれなかっただろう。要は自分なりに満足のいく生き方をすればよい。

父の弘文もいろいろなことをやっている。出身は島根県大田市の大家(おおえ)という辺ぴな所である。父が生まれた渡家は、家系図を見ると、明治になるまでは「渡利」と称した古い家である。隣の江津市にある日本石油時代からの特約店である武田石油店の武田辰子会長は「渡さんの家は大家の名家で、知らない人はいない」と懐かしんでくれる。しかし祖父が道楽者で山などの資産をほとんど手放してしまったようだ。

関西学院大学を出た父は長男だったが、家を継がずに東京に出た。昭和初期に衆議院議員になった江津市出身の沖島鎌三さんの私設秘書のような仕事に就いた。沖島さんは政界入りする前に樺太(現サハリン)で新聞社を経営していた。父も樺太に渡って手伝っている。その後、大阪海上火災保険に入り、損保代理店業界で著名な白川国三郎さんと出会う。大阪海上が住友海上火災保険と合併するのを機に辞め、白川さんが代理店の協営商会を創業するのに加わって、落ち着いた。

戦後、私の知る父は典型的な企業戦士の一人だった。

(JXホールディングス相談役)

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