馬場彰(18)アメフト

「打倒レナウン」闘争心
選手に「雷」、パールボウルV

アパレル業界の最大手にはレナウンが君臨していた。「打倒レナウン!」。2番手に甘んじていた樫山はこれを合言葉に必死で追い上げていた。

私が社長に就任する直前の売上高はレナウン約900億円、樫山約600億円。これが1980年代半ばにはレナウン約2200億円、樫山約1800億円となり、徐々に追い詰めていた。

とはいえ、背中がぼんやりと見えるだけでまだ水をあけられている。そこで目を付けたのがアメフトだった。当時「レナウンローバーズ」は常勝軍団。一方、樫山には弱小チームが幾つかあるだけ。

「アメフトでレナウンを打ち負かそう」――。私は新たなスローガンを掲げた。84年に東京と大阪で別に活動していたチームを合併して「オンワードオークス」を結成し、リーグに加盟させたのだ。

これにはいくつかの狙いがあった。まず強いレナウンを「仮想敵国」に仕立てれば社員の士気が高まる。東阪で分かれていたチームを統合するから社内の一体感も強まる。さらにアメフトを通じて企業イメージ向上にもなる。

目標が決まれば、私はじっとしていられない性分である。自らの体を張って有力選手の獲得に動くことにした。照準を定めたのは、すでに黄金時代を迎えていた日本大学アメフト部の篠竹幹夫監督。パイプができれば優秀な学生を送り込んでもらえる。

営業マン時代の闘争心がよみがえってきた。自分をさらけ出して人間関係を築くのだ。アメフトも一から勉強し直し、篠竹監督にこちらの熱意を何度も伝えた。翌朝まで飲み明かしたこともある。

選手たちが練習できる専用グラウンドも神奈川県相模原市に整備した。こうした努力が少しずつ実り、「オンワードオークス」は着実に力を付けていった。私が選手を怒鳴りつける“事件”が起きたのはそんな矢先のことだった。

88年9月13日。この日、宿敵「レナウンローバーズ」と試合だった。成績は上がり調子とはいえ、それまでレナウンには1度も勝ったことがない。一方、レナウンは85年に学生代表を倒して日本一に輝いた強豪チームである。

健闘したものの、試合は14対33で敗北。レナウンに縦横無尽に走られる完敗だった。私は強敵に負けるのは仕方ないことだと思っている。明日の闘争心につながるのならば、敗北だって良い薬になるだろう。だが私が見逃せなかったのは選手の態度だった。

試合後の激励会。宿敵に敗れたのだから、選手はさぞかし悔しがっているだろうと思っていた。だが選手を見ると談笑するばかり。反省する様子が見られない。色々と事情はあったと思うが、その瞬間、私の中で何かが弾けた。

「おい!悔しくないのか。こんな情けないチームなら、すぐに解散した方がいいぞ」。頭から雷を落としていた。単に試合に負けたというだけの話ではない。会社全体の士気にかかわる問題だった。

この「雷」が功を奏したのだろうか。翌年にはレナウンを撃破してパールボウルで初優勝。結局、パールボウルでは優勝計5回。91年度には学生代表を破り、初の日本一にも輝く。アメフトでレナウンに負けることはなくなった。

我が社が売上高でついに宿敵のレナウンを抜き去ったのは98年2月期のことだった。

(オンワードホールディングス名誉顧問)

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