馬場彰(14)青天の霹靂

38歳、社長就任の打診
父が助言「一度やってみろ」

1970年に部長、72年に取締役……。昇進の階段を駆け上った。だが、樫山純三社長から思いもしない内示を告げられた。「次期社長を引き受けてほしい」というのだ。73年11月のことだった。

青天の霹靂だった。私は9人の取締役会で末席。まだ38歳である。しかも前月の第4次中東戦争をきっかけに石油危機がぼっ発。主婦らが一斉にトイレットペーパーの買いだめに走るなど日本経済は大混乱に陥っていた。

こんな状況下で会社を任されてもうまく行くわけがない。若すぎるし、経験が足りない。社員が付いてきてくれるか自信もなかった。「引き受けるならば、自分なりにもっと準備を重ねてからにしたい」というのが本音だった。

「社長。何を言うんですか。困りますよ。無理です」

私は即座に辞退し、逃げ回っていた。社長と顔を会わせないようになるべく外に営業に出ていた。「そのうち気が変わるだろう」と高をくくっていた。事が事だけに社内では誰にも相談できなかった。

だがどんなに固辞しても、社長があきらめる気配はなかった。年が明けても押し問答が続き、私はため息をつくことが多くなった。思いあまって、父に相談することにした。新人時代に会社を辞めようかと相談して以来のことだ。

74年2月。病死した母の13年目の法事の日だった。横浜市郊外にある寺から墓まで数百メートルの細道を歩きながら、次期社長を打診されたこと、できれば引き受けたくないことなど自分が置かれた状況を手短に説明し、助言を待った。

父は黙って歩いていたが、おもむろにこうつぶやいた。

「一度やってみて、ダメなら会社を辞めたらいいじゃないか。何もやらずにあきらめても仕方ないだろう……」

ゆったりした時間が流れていた。ふと気付くと、道の両脇に雑草の生えた田んぼが広がっているのが見えた。耳を澄ますと、竹林からカラスの鳴き声が聞こえてくる。あれほど重苦しかった気持ちがすっと軽くなった気がした。

(父の言う通りだ。ダメなら会社を辞めればいいさ)その日を境に、私は社長就任を受け入れる腹を固めた。

もともと樫山家には長女の婿養子で元銀行マンの軌四夫氏がいた。当初から後継者と目されていたが、なぜか「社会福祉事業をやりたい」と固辞し、私にお鉢が回ってきたのだ。詳しい事情は知らないが、これも一つの巡り合わせ。そう受け止めるしかない。

「激動の時代が来る。ぜひ、時代の波に乗り、若い発想で大胆に舵取りしてくれ」

樫山社長からこんな激励の言葉を受けた。「若さと実行力に賭けたい」という思いがヒシヒシと伝わってきた。

「馬場君、決心したんだってな。これからが大変だぞ」

樫山社長に受諾する意向を伝えると、新人時代からの上司で紳士服部門を引っ張ってきたナンバー2の杉本一幸常務が握手を求めてきた。「よろしくお願いします」。私は深々と頭を下げた。

人生不如意十常八九――。

その後、父からこんな書を手渡された。ある禅僧に書いてもらったらしい。人生は十のうち八か九は思い通りにならない。そんな戒めの意が込められている。

この書は座右の銘として今も傍らに置いている。

(オンワードホールディングス名誉顧問)

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