馬場彰(9)社内恋愛

駅のホームで一目ぼれ
森田から改姓決意、結婚

私の本来の名は森田彰という。なぜそれが馬場彰になったのか?この経緯について触れることにしよう。

入社2年目のころ。私は川崎駅で南武線から東海道線に列車を乗り換え、会社に近い東京駅に向かうのが通勤経路だった。

ある朝、混雑する川崎駅のホームにかわいい女性が並んでいるのに気が付いた。どこかで見覚えがあるのだが、どうしても思い出せない。後方から横顔をチラチラと見ていると突然、相手が後ろを振り向いた。

(あ、こんにちは)

(あら、どうも……)

何とはなしに会釈すると、向こうも軽く会釈を返してくる。どうやら通勤途中のようだ。こちらも1人、向こうも1人。少しドキドキした。以来、川崎駅で顔を合わすのがひそかな楽しみになった。

しばらくすると、相手が私と同じ樫山の社員だということが分かった。年は2つ下。文化服装学院を卒業し、婦人服を担当しているデザイナーの卵だという。私はすぐに行動に踏み出すことにした。

「おい、あの子を誘ってくれないか」。気心が知れた同僚に強引に頼み込み、夏休みに北アルプスへの合同ハイキングに連れ出した。鹿島槍ケ岳、白馬岳など後立山連峰を縦走する登山ルートである。

額に汗を浮かべてがれきの山道を登ると、白いチングルマや黄色のシナノキンバイが咲き乱れていた。銀色に輝く大雪渓。紺ぺきの空にそびえるアルプスの雄姿に心が癒やされた。今でもかけがえのない思い出になっている。

2人は何度かハイキングに出掛けるようになり、やがて交際が始まった。仕事の合間を縫い、喫茶店や映画館でデートを重ねながら愛をはぐくんだ。何年か経過し「そろそろ身を固めようかな」と考え始めたころ突然、“意外な過去”を告白されたのだ。それは悲劇の生い立ちだった。

彼女の名は馬場宏子という。旧姓は渡辺で満州(中国東北部)の北安で生まれ育った。ロシア国境に近い農産物や木材の集散地である。父は軍医で陸軍病院の院長をしていた。ところが敗戦後に現地でソ連軍に抑留され、その後、消息が途絶えてしまう。

母も引き揚げの混乱で体調を崩し、あっけなく病死した。両親を失った宏子と兄は、隣人の助けを借りながら、命からがら舞鶴まで引き揚げてきた。女子だと悟られないように頭を丸刈りにされたそうだ。その後、福島県郡山にある父方の親戚に引き取られた。それが馬場家だった。

馬場家は戦国武将、武田信玄に仕えた侍大将、馬場信春の末裔(まつえい)にあたる。子宝に恵まれなかったため、宏子が養子縁組して養女になった。だから「結婚するならば馬場への改姓が必要なの」という。

私は言葉を失った。そんな悲劇があったとは夢にも思わなかったからだ。宏子の苦難に比べたら、私などよほど恵まれている。もちろん空襲で実家は焼けたし、疎開生活のつらさも味わったが、戦争で肉親を失ったわけではないのだ。

宏子の笑顔には少しも陰りがなかった。私はそんな宏子にますます惹かれた。「オレは名字が変わっても構わない。結婚しよう」。気が付くと、相手をこう押し切っていた。

1961年11月5日。森田彰だった私は宏子と結婚。改姓して馬場彰になった。

(オンワードホールディングス名誉顧問)

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