馬場彰(7)樫山入社

紳士服の販売、心身疲弊
「吊し屋」と見下され、転職思案

入社試験で監督官からこんなあいさつがあった。

「東京駅前に新しいビルを建てている。もし諸君が入社したら、来年の春からピカピカのビルで働くことになるだろう」

業績拡大に合わせて、日本橋久松町の問屋街にあったビルを移転拡張するらしい。見物してみると、昭和通りに面した9階建ての堂々としたビルである。

「ここで働けたらいいな」。私は一目で気に入ってしまった。中小企業とはいえ、日の出のような勢いを感じた。

入社作文でこんな文章を書いた記憶がある。「寄らば大樹という言葉があるが、私は大企業よりもあえて中小企業を選ぶ。自分が働き、会社がこれだけ伸びたということを確かめるには、中小企業が最も適しているからだ……」

面接では創業者の樫山純三社長から趣味のことなどをあれこれと聞かれた。作文の評価も良かったらしい。すぐに合格を知らせる電報が自宅に届いた。両親も大変に喜んでくれた。一緒に受けたマージャン仲間も全員合格した。

繊維業界は1950年の朝鮮動乱を機に特需に沸き、モノを作れば飛ぶように売れる時代。衣料切符制が廃止され、機織り機をガチャンと動かせば万のカネが転がり込むという「ガチャマン景気」が訪れていた。「もはや戦後ではない」。経済白書がこう宣言したのは56年のことである。

58年春。私は横浜市立大学商学部を卒業し、既製服メーカーの樫山に入社した。同期入社は約30人。大卒の採用を始めて3期目だった。当時、「アパレル」という言葉はまだ使われておらず、実はどんな仕事をするのか理解していなかった。「行き当たりばったりで就職が決まった」というのが正直なところである。

入社早々、紳士服部に配属され、東京駅に近いある百貨店の担当になった。「よし、頑張るぞ」。こう心に誓い、新たな気持ちで仕事を始めた。ところがすぐに壁にぶつかってしまう。予想外にキツイ仕事が待っていたからだ。

1日の仕事はこんな具合である――。朝8時に出社し、紳士服のどの色や柄、サイズを売り場に運ぶかの段取りを確認する。急いで百貨店に移動し、地下の検品所に届く商品を売り場まで運び上げる。

この作業が大変だった。悠長にエレベーターを待っていたら朝10時の開店に間に合わない。両手に服を何着も抱えて階段を上り下りするのだ。朝10時の開店から夜6時の閉店までは販売員として接客にあたる。のんびりと食事をとっている暇などない。

閉店時間が過ぎると、今度は会社に戻り、売り上げ結果を台帳に記入する。そして、翌日の納品に備えて商品の手配を確認するのだ。いつも帰宅は終電に近い。毎日、この繰り返しである。かき入れ時の土日は休めない。足は棒のように固くなり、太ももの腫れがなかなか引かなかった。

アパレルメーカーが「吊し屋」とさげすまれていた時代。販売員に大卒はおらず、百貨店の担当者や年下の販売員からいつも怒鳴られてばかり。堅いソロバンの角で頭をなぐられたこともある。

一流商社などに入社した大学の同期は肩で風を切って街を歩いていた。偶然、売り場で出くわすと、肩身が狭いような気がして私は慌てて物陰に身を潜めた。「辞めたい……」。学生気分が抜けない私は本気で転職を考えていた。

(オンワードホールディングス名誉顧問)

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