渡辺淳一(29)銀座通い

散財、売れっ子の証し
女性遍歴・愛憎、作品に彩り

直木賞をもらって、気持ちが落ち着いたわたしは、家族を東京に呼び、まず高田馬場に仕事場をもった。

これで、思いっきり書いていける。

この直後、わたしが書いた作品は、「花埋み」「無影燈」「阿寒に果つ」「冬の花火」「遠き落日」などである。

いずれも長編だが、直木賞を受賞して、いろいろな雑誌で、長編を書く場を提供してくれたからである。このあたりは、まさしく受賞の恩恵といっていいだろう。

以前、わたしは主に新宿の厚生年金会館に近い、飲み屋街で飲んでいた。

だが受賞して間もなく、そこで飲んでいると、同じ年代の男にからまれた。

「おまえ、直木賞をもらったのだから、もうこのあたりに顔を出すな」

変な因縁だと思ったが、このあたりには、作家やディレクターになろうとしながら、志を得ていない男たちが屯していた。そういう連中にとって、直木賞を受賞した奴は不快な、面白くない存在だったに違いない。

そのことに気がついたわたしは、きっぱりと新宿を去り、銀座に行くことにした。

だが、この銀座が驚くほど高かった。

クラブに行くと、1人で3万円近くとられる。なかで多少、安いところでも、1人、2万円は軽くした。

妙な話だが、おそらく銀座のクラブの値段が、当時に比べて現在一番、値上がりしていない、といってもいいだろう。

とにかく、此処に通うには、かなりのお金を稼がなければ難しい。もちろん、クラブに行かなければいいのだが、当時のクラブには売れっ子作家が綺羅星の如く並んでいた。

たとえば井上靖さん、吉行淳之介さん、松本清張さん、源氏鶏太さん、池波正太郎さんなどが座っていて、それぞれ、お好みの女性を隣りにおき、楽しそうに語り合っていた。

此処にくると、もはや誰に遠慮することもない。自分の好きな女性を横に呼び、人目を気にすることもない。みな女が好きで、それが作家の作家たる由縁である、といわんばかりの態度であった。

はっきりいって、わたしは、こんな銀座に魅せられた。あの大作家たちのように銀座の女性と親しくなり、堂々と愛を語り合いたい。

そのためには、まず、お金を得なければならない。そしてそうするためには、まず本が売れなければならない。ベストセラーをどんどん出せば、それも可能になる。

わたしは懸命に小説を書きはじめた。

それが文学のためとか、よりよき小説のため、などというもったいぶった理由なぞいらない。それより、いい小説を書いて、銀座のいい女をゲットしたい。そんな俗な理由が、まずわたしをふるい立たせ、わたしの能力をかきたてた。

幸いなことに、わたしには、これまで貯えてきたものが、かなりあった。それはさまざまな女性との愛であり、トラブルであり、生々しい愛憎である。それがわたしのなかで生きて、うごめいているかぎり、わたしは書いていける。そしてそれがあるかぎり、小説のリアリティーを高め、ふくらませていける。

わたしは今、自分が常識人でなく、作家になっていることを自ら実感し、納得してもいた。

(作家)

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