渡辺淳一(14)医科大学に進む

京都に未練残し帰郷
解剖実習で衝撃、死を自問

春の京都は桜が満開だった。

2年前、修学旅行で京都へ来たときも、桜が咲きかけていたが、京都の桜はなんと優雅で美しいことか。

これに比べて、札幌の桜は咲くのがはるかに遅いし、花自体がなにか地味で、重たげな感じである。もっとも、花はいずれ実をつけて、いわゆるサクランボができるが、京の花の華やかさには到底およばない。

この桜に見とれながら、わたしは京大の学部編入を試みたが、結果は失敗であった。

それは試験を受ける前から、ある程度、予測されていたことだが、わたしが北大の教養で履修してきたことは、理類の教科だけで、文科系はまったく学んでいなかった。

それを知った京大の教官が、「これでは難しい」といわれたが、結果はそのとおりになってしまった。

こうなっては、もはや京都にいる理由がない。かくして京都に住むことはあきらめざるをえなかったが、しかしまだ帰りたくない。

そこで、わたしは当時、京都駅裏にあった、旅行者援護宿泊所に行き、そこに泊めてもらうことにした。此処なら安いから、かなり居られそうである。

そのまま、わたしは京都のお寺や神社、さらに観光名所などを廻っていたが、そのうち手持ちのお金も足りなくなってきたので、宿泊所でアルバイトをすることにした。

といっても、泊まりに来る人の名簿をつけたり、廊下の掃除をするなどだが、そうするうちに、なにか自分が京都に住んでいるような気がしてきた。

そうして半月くらい経ったとき、突然、母から電報がきた。

「サッポロイカダイニゴウカクシタ、スグカエレ」

わたしはびっくりした。京都の生活が楽しくて、札幌医大を受験したことを、忘れかけていたのである。

それに、「直ぐ帰れ」といわれても、今の、アルバイトを放置して帰るわけにもいかない。

「少し待って欲しい」

わたしの返事に呆れた母は、わたしのかわりに、入学式に出てくれたらしい。

かくしてわたしは札幌に戻り、札幌医科大学の学生となった。

当然のことながら、医大は単科大学で、入学生は66名だったが、そのなかには北大の教養のときに知っていた仲間もかなりいた。

彼等と、これから医学を学んでいくのか。

京都から戻ってきたばかりのわたしは、なんとなく違和感を覚えたが、とにかく此処で学ぶよりない。

半ばあきらめた感じで授業に出たが、そこでもっとも衝撃を受けたのが解剖学の実習だった。

かなり広い実習室に、6つの屍体が平たい台に乗せられたまま横たわっている。

この屍体を、上から顔面頭部、胸腹部、そして下腿部の3つに分け、さらに左右に分けて、1つの屍体を6人の学生で、解剖学書を見ながら解剖していく。

まさしく、つい少し前まで生きていた人体を、解剖学書の記述どおり分けていくのである。

わたしは驚き、戸惑い、改めて死とはなにかと考えこんだ。

(作家)

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Bubbles of river disappear rapidly.

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