渡辺淳一(12) 阿寒湖畔の死

ミステリアスな最期
遺書代わり、7人の男に花

冬の夜、彼女は受験勉強をしているわたしのために、わざわざ3キロ近い道を歩いて、わたしの家まで来て、勉強部屋の窓の下に赤いカーネーションを置いていってくれたのだ。

わたしはそう思い、そこまでしてくれた純子に感動した。

やっぱり、彼女は俺を一番愛してくれていたのだ。

翌日、学校に行くとともに、純子の親友だった女の子に、「純子は、今日は何時に来るかな」ときくと、「純子は今朝1番の急行で釧路に行ったから、当分、帰って来ないよ」といわれた。

「こんな冬に、なぜそんなところへ?」ときくと、冬の阿寒湖を描くためだといっていた、という。

それでは、彼女が戻ってきてから、礼をいうよりない。そう思って待っていると、やがて新聞に、「天才少女画家、阿寒で失踪」という記事が出た。

それを読むと、彼女は3日前、「雪の阿寒湖を描きに行く」といってホテルを出たまま、消息が不明だという。

いったい、どこにいるのだろうか。わたしは案じたが、消息の知れぬまま1カ月経ち、さらに2カ月経った。

そして4月の初め、純子発見の報が新聞にのった。

場所は、釧北峠に近い、阿寒湖を見下せる山あいの雪の中で、赤いコートを着て突っ伏したまま死んでいたという。

発見者は、近くの営林署の署員とかで、「4月に入り、雪が解けはじめたので、発見することができた」と語っていたとか。

純子はなぜ死んだのか、それはわたしにはわからなかったし、家族の人もわからないようだった。

だがわたしは、彼女が死の直前、わたしの部屋の窓の下に、赤いカーネーションを置いていったことを秘かに思い出し、わたしをもっとも愛していたのだと信じていた。

しかしそれから数年経ち、わたしが札幌医科大学にすすむと、そこの内科のある教授に、「わたしの部屋に一寸、来てください」といわれて行くと、いきなり純子が描いたという油絵の自画像を示された。

「これは、彼女が阿寒に行く前、自らの死に顔を描いて、わたしに残していったものです。でもこれは君が持っているのが、一番いいと思うので渡します」といわれた。

さらに教授は、純子と肉体関係があり、阿寒に発つ前の夜、札幌の教授の家の前に赤いカーネーションを置いていったこと、さらに彼女の肺結核は偽りで、「肺結核は演じていただけです」と教えてくれた。

では、あの校庭につくりかけた雪像を真紅に彩めたものはなんだったのか。ただ、みなを驚かすための紅い溶液であったのか。

わたしはすべてわからなくなったが、このとき、教授からいただいた純子の「死に顔」の絵は、今もわたしの札幌文学館に展示されている。

そしてさらに死の直前、札幌最後の夜、彼女は絵の先生、新聞記者、そしてフリーのジャーナリストなど、わたしをくわえて計7人の男性の家の前に赤いカーネーションを置いて行ったことがわかった。

まさしく鮮やかにして華麗、そして独善的としかいいようがない純子の死であった。

(作家)

純子が残した死に顔の絵

純子が残した死に顔の絵

About sayfox
Bubbles of river disappear rapidly.

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。