根岸英一(22) 集大成の専門書

講演の合間、1000ページ執筆
研究のため特許は取らず

ドイツの「フンボルト賞」を受賞して欧州を講演旅行中、私は並行してもう一つ大きな仕事に取り組んでいた。かねて構想していた専門書の編さんだ。

正式な名称を「有機合成のための有機パラジウム化学のハンドブック」という。私とゲッティンゲン大学のA・デマイヤー教授が総括の編集者となり、この分野の代表的な研究者約150人の協力を得て、これまでのパラジウム触媒による有機合成反応を集大成しようと考えていた。

構成やテーマを検討しようと編集委員会の人選を進めていくと、日本の研究者が次々と決まった。京都大学から伊藤嘉彦、大島幸一郎、林民生3教授。さらに大阪大の村橋俊一、東北大の山本嘉則、群馬大の小杉正紀の3教授が加わった。結局、私を含めて編集委員10人中7人までを日本人研究者で占めた。

第2次大戦後の有機合成反応学界で世界をリードする代表的な研究者の中には向山光昭教授(東京工業大、東京大)や野崎一教授(京大)らとともに阪大の大塚斉之助、守谷一郎両教授らがおり、関西を中心に系譜がしっかりと継がれていた。村橋、山本両教授を輩出した守谷先生はブラウン教授が採用した最初の博士研究員でもあり、同じ師に学んだご縁を感じた。

皆さんがとても熱心に協力してくださった。提案をたくさんもらい、それらを全て盛り込んだ。ページ数は3300ページほどに膨らみ、2部構成になった。私は初めの2章とクロスカップリング反応を担当し、それだけで約1000ページある。講演で巡る大学には原稿がファクシミリで先に到着し、車窓から見る欧州の景色を楽しみながら列車の中で校正をして次の大学から送り返す日が続いた。

米大手出版社、ワイリーから2002年に発売された。高価な本だが、当時の書評は非常によかった。出版からもう10年がたつ。我ながらよいハンドブックを編さんできたと自賛している。

この頃になると、クロスカップリング反応の応用はどんどん広がっていった。医薬品や農薬の原料製造のほか、ディスプレーに使われる液晶や「エレクトロ・ルミネッセンス」という有機発光材料などの合成にも使われ始めた。開発した合成法が実用化され社会で役立つことは、研究者冥利に尽きる。

表彰も増え始めた。1996年に日本化学会賞を受賞したのを皮切りに98年には米国化学会の「有機金属化学賞」を、01年には英王立協会の「エドワード・フランクランド講演賞」を受賞した。

特許についても付け加えておこう。私はクロスカップリング反応で特許を1件も取得していない。ノーベル賞を一緒に受賞した鈴木章・北大名誉教授も同様で、クロスカップリング反応が産業界で広く実用化される大きな要因になったと受け止められている。

大学の担当部局が特許収入を当てにしていた節がないわけではない。しかし研究内容を特許申請すると、認められるまで論文を発表できなくなる。研究に遅れが生じれば、激しい研究競争で敗北を招く恐れがある。これは何としても避けたかった。私が取得した特許は帝人時代の5件と、パデュー大で企業の人に勧められて出した1件の計6件にとどまる。

(有機化学者)

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