根岸英一(20) ドリームハウス

理想の家、自分で設計
こだわり100カ所、今も快適

パデュー大に戻った私を訪ねる友人たちは時々「こんな田舎によく住んでいられますね」と話す。大都市圏暮らしが長かった私たちはよいところだと思っているが、そう指摘されると確かにその通りだ。米国中西部では、できあがった文化を押し頂くのではなく、自らの手で作り出しそれを楽しむのが適している。そんな自分流の考えが頭を巡り始め、いつか好みに合った設計のドリームハウスを建てようと思うに至った。

そのための土地は1985年に購入していた。ウエストラファイエットで唯一、電気やガス、上下水道などの基盤が整備された最も魅力的な団地に1エーカー(約4000平方メートル)を見つけた。米国の土地は安い。金額は6万ドル、1坪(3.3平方メートル)当たりで5000円ほどだった。

しかし研究に忙しく、家の新築など構っていられなかった。ドリームハウスに関心を寄せていたのは、すみれと交友のある短期滞在の日本人の奥さんたちで「いつ建つの。私たちの滞在中には実現してね」と話題にしていた。

98年に事態は一気に進展した。ドイツの学術振興で名高いアレクサンダー・フォン・フンボルト財団から「フンボルト賞」を頂き、欧州各地で講演する日程が組まれた。単身で2カ月間、ゲッティンゲン大に滞在、最小限の家具が置かれた大学のアパートを借りた。部屋の机の大きな引き出しを開けると、60×80センチメートルぐらいのグラフ用紙が数十枚もある。これを見たとたん思わず「これだ」と叫んだ。設計図を書くのにぴったりだ。

長く頭の中であたためていた様々なアイデアが清水のようにわき出てきた。ドイツ滞在中に20枚近い図面ができあがった。わが人生で初めて作製した家の設計図にかなり興奮した覚えがある。

工事の依頼先は事前に決めていた。この地に進出した富士重工業の現地社長宅が立派で、誰が建てたのかと聞くとクリス・ブラウン氏という。火事で自宅を建て直した大学の同僚の家もすばらしく、建築家はブラウン氏だった。

彼に自作の設計図を見せると「すばらしい。このまま家を建てられる」とほめてくれた。ただ空間が広く、中西部に多いトルネードを考慮して「パデュー大建築学科の教授に強度計算を頼みなさい。ついでにコンピューターで印刷してもらって」と助言を受けた。設計費用は通常、総建築費の2割ほどかかるが、私の場合は約0.5%で済んだ。

2000年1月2日に着工し、9月末、私がH・C・ブラウン特別教授職に就いたのを祝う任命式に、ぎりぎり間に合い完成した。地上2階と半地下1階に合わせて20部屋あまり、延べ床面積は約500平方メートルだ。

こだわった部分は100カ所ぐらいある。南側にはサンルーフの部屋を配置し、階段下のひな壇のような空間は写真撮影に最適だ。コーラスもできる。風呂おけは日本式で2畳分ほどある。最初、水が漏れたが、ブラウン氏がイタリア人職人を連れてきて作り直したら漏れなくなった。

何よりうれしかったのは、建築学科の教授がこの設計を大いに気に入り、講義に使ったり彼のクラスの学生20人ぐらいを数年にわたり年1回訪問させたりしたことだ。もう12年になるがすこぶる快適。保守・管理コストは日本の親戚・友人たちの家とそう変わらない。

(有機化学者)

About sayfox
Bubbles of river disappear rapidly.

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。