根岸英一(4) 林間の地

自然が好奇心満たす
曲折経て湘南高校に進学

親戚一同がひしめいていた東京・目黒の家は、色々な問題と深刻な食糧不足を解決するため売り払い、神奈川県南林間(現大和市)の土地に家を建てて移り住んだ。小学6年生の最後の3カ月間を大和小学校で過ごし、その校舎の一部を使ってできた新制大和中学校に進んだ。

引っ越した先の近くに3反(約2980平方メートル)の農地を借りてサツマイモなどを栽培した。我が家の敷地内でも木を抜いて畑を耕さなければならず、姉と私はよく手伝った。借りた農地で耕した一畝を振り返ってみると、広大な畑のうちのほんの一部分でしかない。農作業の過酷さを体験し、自分にはこの仕事はできないなと感じた。

近くには有名なゴルフ場があった。どこの家でもウサギや鶏を飼っていて、学校が終わると友人と一緒に竹カゴを持ってゴルフ場へ行き、餌になる野草を摘んだ。ゴルフ客のいなくなる夕暮れに、小さな幹をヘッドに、枝をシャフトにして作ったクラブでプレーのまねごとをして遊んだ。

しかし何と言っても主な遊び場は、大小の木で覆われた林間の地だった。網でスズメバチを捕まえに行ったこともある。網をかみ切って飛び出てくるスズメバチのどう猛さに驚いた。自然の教室は、学校では決して学べない様々な好奇心を満たしてくれた。

両親は一度として「勉強しなさい」と言わなかった。生計を立てるために忙しく、そこまで手が回らなかったのかもしれない。

父は、南満州鉄道系の会社に勤めていたときの仲間と色々な事業を手掛け始め、一時は東京・銀座に小さな店を出した。南林間の土地の一部を売って資金に充てたが、なかなかうまくいかず、土地は減っていくばかりだった。私が大学生になったころ、いよいよ残り少なくなり、父に向かって「そう簡単に売らない方がいいんじゃないか」と、口をはさんだこともあった。

教室以外ではまず勉強しなかったが、中学校の成績は良かった。アチーブメントテストという一斉試験があり二百数十人いる学年の中で2番。女子生徒が1人、私より良い成績だったそうだ。私は1つ年下で、年齢を補正するとほぼ同点だったようだ。

ただ、習字や図画の作品を時々出さなかった。ある日たまたま職員室に行き、つい立ての向こうで図画の先生が「根岸君の他の教科の成績はどうですか」と尋ねていた。担任の先生が「全部優ですよ」と答えた会話を耳にして、慌てて教員室から出てきた。

当時、神奈川県で成績上位の生徒がいく高校は県立湘南高校と決まっていた。文武両道を校是とし、進学実績は県下随一。国体でサッカーが、また甲子園での高校野球大会で優勝するなどスポーツも強かった。

湘南高に進学できると考えていたが、中学3年の時、年齢が1歳若く入学できないとのことだ。「高校がダメだと言っている」と担任の小山新平先生から聞いて「1年間、先生の助手をやりますよ」と冗談を言ってあきらめていた。しかし大和中の先生方、約10人が交代で説得に行ってくださり、ようやく入学できた。

南林間の地に移ってあと数年で70年。その後、色々なところに住んだが、中高大学時代を過ごしたこの地が、今でも私のふる里であることに変わりはない。

(有機化学者)

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Bubbles of river disappear rapidly.

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