霞ヶ関から眺める証券市場の風景

現実的な政策とは、理想的ではないが、次善の策の意味で使われることがある。原発の懸念は払拭できないが再稼働しなければ、化石燃料の輸入代がかさんで経常収支が赤字化し、国債の囲内消化にも支障を来す、といった文脈になる。.また、現実的な政策が、現実に有効な策を意味することもある。震災支援機構が行う資金調達への政府保証を昨年度の4次補正予算で手当てした際、補正の全体像を眺めたら、エコカー舗助金が復活していた。補助金が使われ、足元の需要を喚起するという意味では、有効である。リーマン・ショックで自動車や家電製品のアメリカ向け輸出需要が突然蒸発したのを国内需要で補うべく、エコを名目に補助金や減税を導入した。単なる需要の前倒しだから、期限が過ぎれば厳しい反動減になり、再度の前倒しを試みねばならない。助成期限内に車を買う人に所得を再分配するのを誰も公平とは感じないが、供給側の雇用を国内に確保するのが優先されている。国内に工場立地する企業に補助金を、不況時に解雇しなければ雇用調整助成金を交付するのも、雇用努力に報いんがためである。今世紀の初めに遡れば、前例のない金融緩和と為替介入で円安誘導したのも、輸出産業主導で景気と雇用委を回復させる試みになる。いずれの場合も.当事者は現実的な政策と考えていた。私はドメスティック行政官なので、為替政策を担う財務官経験者の見解など聞く機会に乏しいが、回中直毅さんによると、変動相場制を、努力が報われない仕組みとして理論的に否認する人もいるそうである。頑張って輸出で稼げば稼ぐほど円高になり、輸出で稼げなくなる。どうやら貿易を、勝ち負けの闘いと捉えるらしい。頑張って輸出で稼ぐほど円の購買カが高まり、安く輸入できるとは考えないようである。

さらこ歴史を「官僚たちの夏」の1960年代まで遡れば、資本自由化に備えてアメリカのピッグスリーに対抗するには、日本の自動車メーカーはせいぜい3社が現実的と考えた通産省の政策が、本田宗一郎氏を逆上させた。二輪で世界を制した以上四輪でもできないはずがない、トヨタやニッサンやマツダが何をしようが知ったこっちゃない、オレはやりたいことをやるだけなんだから邪魔するな、とのエネルギーは、結局のところ、政策により抑制されることはなかった。今では、官民相談して需給調整する特定産業振興法案が挫折し、ホンダが自動車製造に参入した経緯を誰もが評価するだろう。タイムスパンを:長くとるほど、何が現実的な政策かは判然としなくなる。私が社会人になった80年代は、自動車輸出によるアメリカとの貿易摩擦が激化したが、輸出で稼げば円高になる為替レートの調整メカニズムや、円高で採算が取れなくなればアメリカに工場立地する企業行動自体は当然視され、ほかの選択肢は意織されていなかった。もちろん今でも、自動車産業の経営者は、同じ考えを基本的には維持しているが、社会的責任をより深〈認識するようになったらしい。程度の差はあるものの、国内雇用の確保と、経常収支黒字を維持して国債を国内消化することにまで責任領域を拡張した。一定規模の園内生産を前提とした上で、海外への販売を続けるためには政府が円安誘導すぺきだし、国内への販売を続けるためには政府が補助金や減税で支援すべきだと、自動車産業が主張する。主張される側の政府も、放っておいて順調に経営される産業相手では仕事がなくなるから、積極的に呼応する。かくて、官民相談して需給調整する新たな「官僚たちの夏」が到来しているとも言えよう。

政策支援しなければ国内生産を続けられない場合、初めから支援しないほうが良いのか否かは、視点が異なれば判断も異なる。以下生産性とは、物理的な生産能力ではなく、願客が対価を払って購入したい財やサーピスを生む、金額ペースの能力と規定しよう。農業の国内生産lま多くの国で、生産性とは別の観点から政策支援されている。もっとも私個人は、「日本人なら稲作の風景に心なごむはずだ」なんて押しつけがましく言われると、「荒野を見るほうが心はなごむ」と言い返したくなるのだが。ともあれ、国民の不安は、自動車や電機という日本を代表してきた産業までが、農業化したことにある。リーマン・ショックのような突然の需要蒸発に対しでは、一時的な政策支後で需要を喚起して致命的事態を避けるのがマクロ的にも正当化されるだろう。ショックを克服すれば、産業として自律的な成長軌道を同復するのが、正当化の前提になる。だが、恒常的な支援は、園内雇用を維持するメリットより、必要な産業構造転換が遅れるデメリットが上回ると評価せざるを得ないだろう。マクロ経済として自律的に成長するには、生産性が低くなった分野から、より高い分野に労働と資本(ヒトとカネ)が移動する必要があるが、政策が生産要素の移動を抑制してしまうからである。

日本国内でテレビを作って生きていける幻想から早く覚める方が良いと言えば、じゃあ代わりに何を作れば成長できるのかと疑問の声が発せられる。1つの答えは、作る仕事は、なるべく新興国の人たちに任せるのが無難だということである。一方で、病院の診療待ち、特養ホームの入居待ちが示す明らかな需要超過領域では、需要に応じた価格形成を許容することにより、医療や介護は生産性の高い産業になれる。成熟した経済では、モノを作るカを新興国と競って消耗するより、カネを使う力に着目して素直に呼応するのが成長の源泉になる。素直に呼応するとは、以前記したように、医療や介護を安い価格で平等に供給するのが正義との固定観念から解放され、自分の命や健康のためなら払うに値すると顧客が感じる価格を払ってもらい、この領域で働いて高い所得を得られるようにすることである。需要に応じた価格に導かれる形で、モノ作り後のピジネスの方向を、市場に教えてもらうのが、疑問の声へのもう1つの答えになる。失われた20年と呼ばれる聞に、65歳以上人口は倍増した。人口の多いこの世代が壮年の働きざかりだった頃は、自動車も家電製品も売れた。現在売れなくなった理由は、壮年人口の減少という年齢構成の変化で相当程度まで脱明できる。かつて旺盛な購買意欲を示した人口の多い高齢世代が、現在買いたいのは医療や介護なのだから、自動車や家電製品の売り方で医療や介慢のサービスを売るのを、いつまでもタブー視する余絡はあるまい。

国内雇用の確保を優先する政策を長年講じているのは、そのための財政負担が国民に明瞭に意識されていないのも背景になる。私は、経常収支が赤字化することと、国債の国内消化に支隙を来すことの間には、かなりの距離があると認識している。経常収支がどうあれ、もうしばらくの問、銀行は、企業貸出を減らして国債を消化するだろう。そして、経常収支が赤字化しでも、対外資産を国債に振り替えれば国内消化を続けられる。にもかかわらず冒頭から例示しているように、最近とくに、経常収支黒字の維持と国債の国内消化の維持を直結する主張が目につく。ぞれは一方で、財政が海外からファイナンスされるギリシャみたいになってはいけないとの危機感の現われだが、他方で、国内生産し輸出で稼ぐ従来の方針で頑張ろうとの信念の表明でもある。そして向時に、頑張れればこの国の財政も持続可能と、信念が補強される構図になる。かくて、国債残高が異常な水準に累積しでも、円本経済の低迷が続くから財政ぬ破綻せず、インフレにも円安にもならないパラドックスが緩いていく。

金融庁・証券取引等監視蚤員会事務局次長
復興庁審議官(金融支援担当) 大森泰人

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