君原健二(24) 銀メダルの理由

伴侶得て総合力増す
自分追い込む競技、支え必要

メキシコ五輪の私のゴールシーンは夢遊病者のような走り方と言われたが、意識ははっきりしていた。かといって、ゆとりがあったわけではない。競技者時代、ゆとりを残してゴールすることはなかった。いつも力を出し切るように心掛けた。

メキシコでの私は首を左右に大きく振りながら苦闘している。苦しくなってからの場面ばかりが放送されるので、スタートからあんな走り方をしていると思っている人がいるが、そうではない。

首をかしげて走るのがいいのだと思い込み、私のマネをして走っているという人に何度も会った。そのくらい、あの走りが印象に残っているということなのだろう。

しかし、メキシコ五輪は納得のいくレースではなかった。何しろ、大事なところで便意を催した。食事のとり方が悪かったのか、緊張からなのかは不明だが、いずれにしても便意を催したのは私のミスだった。

ミスを犯しながら、メダルを取れたのは幸運としか言いようがない。高地という特殊な環境下でのレースだったので、私より大きなミスをした選手が多かったのかもしれない。私はとにかく、ゴールするとトイレに駆け込んだ。

優勝したのは2時間20分26秒4のマモ・ウォルデ(エチオピア)で、私のタイムは2時間23分31秒0だった。表彰式はエチオピアの国旗のトラブルがあったとかで、1時間以上も遅れた。

表彰台に立ったときには、もう高ぶりは収まっていた。胸にあったのは、先輩たちが築いてきた日本のマラソンの伝統を守れたという喜びだった。私は台上でどういうポーズをとったらいいのかわからず、困惑した。映像で見ると、中途半端に手を挙げたり、下げたりしている。

レース当日の日記にはこうある。「2位に入賞した。皆、驚いたことだろう。世の中には幸運ということがある。時たま、押し寄せる波のような感激が湧いてくる」

8位に敗れた東京五輪と銀メダルを獲得したメキシコでは、私にどんな変化があったのだろうか。パワーもスピードもスタミナも東京のほうが上だったと思う。練習量も東京五輪の前のほうが多かった。しかし、自分の力を出し切れる選手ではなかった。

五輪は独特の雰囲気に包まれている。だから自己記録を更新する選手はなかなかいない。そういう舞台で力を出すには精神面の安定が必要なのだと思う。

東京五輪後に私は妻帯者となっていた。メキシコでメダルが取れた一番の要因はそこにあると思っている。結婚し、癒やされ、精神的に落ち着いたのが大きかった。その結果、私の競技者としての総合力が上がったのだ。

そこで私は、どうしても円谷幸吉さん(自衛隊)のことを考えてしまう。東京五輪後に円谷さんは結婚目前までいっていながら、自衛隊の上司に「競技に差し障りがある」と反対され、破談になった。結婚に賛成し、話を進めていた畠野洋夫コーチも北海道に異動となり、円谷さんは相談役を失った。

一方の私は2年間の文通を経て、結婚に至った。心の平静を得た私と、悩みを打ち明ける相手のいなかった円谷さん。ぎりぎりまで自分を追い込むゆえに、競技者は人の支えなしでは生きていけない。(五輪マラソン銀メダリスト)

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Bubbles of river disappear rapidly.

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