茂木友三郎(6) 町議会

地元が工場建設に反対
現地に飛び疑問に答える

工場の建設用地はミシガン湖の西に位置するウォルワースという町のトウモロコシ畑だった。広さは190エーカー(23万坪強)ある。これを工業用地に用途変更する許可が下りたら買う契約になっている。

建設地が決まった翌日、私はコンサルタントのマルコムとウィスコンシン州では有名なゴッドフリー・ネシェック法律事務所を訪ねた。トーマス(トム)・ゴッドフリーさんは40代後半、ミルトン(ミック)・ネシェックさんは40歳を出たくらいだった。

「今度、州内で工場を建設することになりました。ついてはそれに関する法律事務をお願いしたいのです」と言うと「わかりました。ところで場所はどこですか?」との問いが返ってきた。

「ウォルワースの農地です」。私の答えにトムの表情が曇った。「リゾーニング(用途変更)の必要があることは知っていますよね。あれは大変なんですよ」と言う。隣でミックもうなずいた。

日本でも農地転用は簡単ではないから事情はわかっているつもりだったが、言われるほど難しいとは思っていなかった。2人の手腕に任せることにして私は急ぎ帰国した。

1年半後に操業開始。予定ではそうなっている。日本で工程表を作り、設備の設計をしなければならない。日本橋小網町にあった東京出張所と野田の本社を行き来する日々が始まった。

醤油(しょうゆ)は大豆と小麦を麹(こうじ)にし、発酵させて造る。日本とは気象条件が違う米国中西部で国内と同じ品質の醤油を造る技術的な検討は済んでいたが、米国で手に入らない特殊な装置が多いから、それらは日本から運ぶ。現地で調達できるものもあるし特注する部品もある。

1971年10月初め、野田の工場の研修室で会議中に電話がかかってきた。電話に出た社員が「アメリカから急ぎの電話だそうです」と私を呼ぶ。受話器を受けとるとトムの声が響いた。

「大変です。地元が工場建設に反対しています。こちらに来て町議会で説明してほしい」。まったく予期していないことだった。佐平治常務と石川部長に報告すると、2人とも「それはすぐに行かなきゃだめだ」と言う。

翌日の夕方、羽田から日本航空のサンフランシスコ行きに乗った。米国内線でシカゴに向かい、そこでマルコムと合流した。車でウォルワースのフォンタナという町に行くとトムとミックの両弁護士が硬い表情で待っていた。

私は2人に「日本企業だからですか」と聞いた。「違います」と言う。「醤油を知らないからですか?」「それでもありません」。では何が理由なのか。「公害による環境破壊を心配して、工場自体に反対する声があります。ひとつ認めると次々にできるのではと警戒する人もいます」

翌日、町議会に出た。町の人口は1600人で町議は3人しかいない。町長も議員を兼ねている。全員が昼間の仕事を持っているから、議会は夜の7時に助役の家の応接間で開かれた。

「リゾーニング申請について審議します」と町長が言って議会は始まった。「従業員数はどれくらいになりますか」「原材料はどこから調達するのですか」「設備投資額は?」「工事期間中、道路は壊しますか」

穏やかだが鋭い質問が私たちに降り注いだ。(キッコーマン名誉会長)

About sayfox
Bubbles of river disappear rapidly.

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。