茂木友三郎(4) 保留

稟議書作成へ現地調査
巨額投資に取締役会 慎重

1970年11月、米国での現地生産に向けてキッコーマンの調査団が羽田をたった。団長は村井豊次製造管理部長。海外事業部グループ長になっていた私と3人の社員が従った。

その2カ月前、私は予備調査のため渡米していた。コンサルタントのマルコム・ぺニントンと集めたデータを基に、需要を予測しコストを計算した。その結果、年産9000キロリットルの生産能力を備えた工場を建設した場合、5年ほどで累積欠損が解消できるという見通しが出た。「本調査の価値あり」。それが私の結論だった。

調査団派遣に先立ってマルコムからいくつかの州に問い合わせの手紙を送っていた。もし工場を建設したらどんな優遇措置が受けられるのかを事前に知っておきたかったからだ。最も早く返事が来たのがミシガン湖に接する中西部のウィスコンシン州だった。

シカゴ・オヘア空港に着いた私たち5人をマルコムが待っていた。荷物を彼のステーションワゴンに積み込んで市内のホテルに入った。

翌日、ウィスコンシン州職員のラスムッセンさんが案内してくれることになっている。彼は「朝の5時に迎えに来ます」と言った通り、まだ真っ暗な中をやって来た。手に6人分のコーヒーを持っている。それをホテルのロビーで飲んでから出発した。

イリノイ州からウィスコンシン州に入ったのが午前7時過ぎ。昼食をはさんで工場適地を10カ所以上回ったのだが、ラスムッセンさんはその間、ずっと各適地の特徴と州の優遇策を語り続けた。

夕食を終えたのが午後10時半ごろだったろうか。もう終わりかと思っていたら「まだ案内する所がある」という。結局、シカゴのホテルに着いたとき、時計の針は午前2時を指していた。州職員といいながら民間のセールスマン顔負けのサービスだった。

翌71年2月下旬、いよいよ取締役会にかける段階を迎えた。総投資額、採算予測をはじいて石川浩取締役海外事業部長に相談した。

年間9000キロリットルの製造ラインを建設する。150ミリリットル瓶で6000万本。日本風に言うと5万石で「これくらいならペイするだろうと」思われた。「5年で累損一掃」という予測を強調し、石川さんから指摘された点を手直しして稟議(りんぎ)書を提出した。

しかし戻ってきた稟議書は「保留」のところに丸印が付いていた。後で聞いたところだと、賛成意見も反対意見もほとんど出なかったという。なにしろ当時の資本金36億円に対して投資額は40億円。そんな投資にもし失敗したら誰が責任を取るのか。

だが私は半月後の取締役会に同じ稟議書を提出した。結論は再び「保留」だったが、今度は役員の誰かが発言した。「銀行の意見を聞こう」

ほどなく、銀行の担当者から電話があった。「現地生産について意見を求められているのですが、内容が全くわかりません。茂木さん、資料を見せてください」と言う。

担当者と会って資料を前に計画の概要を話すと、しばらくして意見書が届いた。内容は私の説明を下敷きにしたものだったが、銀行らしく慎重に「設備能力を4万石に下げるべきだ」と書いてある。

銀行も軽々に賛成・反対を唱えられることではない。といって「わかりません」とも書けなかったのだろう。(キッコーマン名誉会長)

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