茂木友三郎(3) 友人マルコム

米国工場の扉開ける
万博観光の来日時に相談

米国内で瓶詰めをするようになると、事前の計算通りコスト削減効果が上がった。その結果、北米事業は従来の赤字体質から、ようやく収支トントンになった。

レスリー・フーズ社で瓶詰めした醤油(しょうゆ)とテリヤキソースには「米国製品」のラベルが貼られていたから、当時の「Buy American(アメリカ製品を買おう)」政策をクリアして、米軍への納入が可能になった。これが売り上げ増に直結した。後には米国の南極基地にも備えられる。

牛肉には塩コショウ、ときに焼き汁でつくったグレービーソースをかけて食べていた米国人の舌に、醤油は「Teriyaki」という形で確実に浸透していった。18世紀のフランス人が書いた「醤油は肉に合う」という記述が実証されたわけだ。

実を言うと私は若いころ、家業でありながら醤油にそれほどの思い入れは持っていなかった。日本の田舎のローカルな調味料。それが私にとっての醤油だった。

コロンビア大学の経営大学院に留学していたころ、醤油の店頭デモンストレーションを手伝ったと書いたが、思えばあれが転機だったのかもしれない。

醤油をつけて焼いたステーキの小片をお客に渡す。彼らは食べた後に聞いてきた。「これは何の味?」「ソイ・ソース、醤油です」「ふーん」。彼らの表情を見ながら、醤油はグローバルな調味料なのではないかと思った。

人間は同じ食べるならおいしい方がいい。醤油を知らない人々にその味を届けるということは、日本の、アジアの食文化を伝えることにほかならない。「米国に工場を建設する」というアイデアは私にとって、単なるビジネス以上のものがあった。

当時の米国ではアミノ酸を合成して作る化学醤油が幅を利かせ、店頭ではキッコーマンの商品より相当安い値段で並ぶこともあった。宣伝文句は「Why pay more?(なぜ高いものを買うの?)」だった。

キッコーマンは米国市場でも国内向けと同じ本醸造の醤油を売っていた。高品質だが高い。しかし安売りをしない方針は変えず「Quality difference(品質が違う)」と応じて引かなかった。

醤油をもっと米国人、いや世界中に知ってほしい。私は米国で需要が広がってきたのを見て、本格的な現地生産に動くべきだと改めて思った。

会社は現地生産の可能性をもういちど探るため「AP委員会」を再開した。その際、日本人だけで調査するのではなく、米国人の知恵を借りた方がいいと私は思っていた。

1970年、大阪で開かれた日本万国博覧会にキッコーマンは水中レストランを出店した。その年の5月か6月、経営大学院でクラスメートだったマルコム・ペニントンが奥さんのジニーと一緒に万博見物にやってきた。

マルコムは学生時代にオフ・ブロードウェーのミュージカルをプロデュースして成功させるなど、才覚のある人物。そのころはコンサルタントをしていた。千葉県野田市の我が家にやって来た夫妻は浴衣に着替え、箸を使って上手にすき焼きを食べた。

日本酒を酌み交わしながら私は言った。「米国に工場を建設したいと思っている。力を貸してくれ」。マルコムはいくつか質問した後で「やってみよう」と答えた。(キッコーマン名誉会長)

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Bubbles of river disappear rapidly.

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