茂木友三郎(2) 時期尚早

瓶詰めだけでも現地で
提携会社に委託、経費節減

私が米国での現地生産を提案した1965年の時点で、米国に生産拠点を持つ日本企業は皆無だった。日本製品に対して「安かろう悪かろう」という評価がやっと消えようかという時代でもあった。

為替は1ドル=360円で、もし外国に工場を建設するとなると巨額の投資が必要だったし、それだけ大きなリスクを覚悟しなければならない。

だが直属の上司である根本繁管理課長は「アメリカでの工場建設を検討すべきだ」という私の提案の意味を、驚きながらもしっかりと理解してくれた。「大事な話だね。社長室長に相談しよう」

管理課は社長室に所属し、社長室長は茂木佐平治常務。私より20歳上のいとこだ。当時の社長、茂木啓三郎は父だった。

数日後、私と根本さんは役員室に佐平治常務を訪ねた。常務は新しいことに積極的に挑むタイプで「検討するのはいいんじゃないか。社長に話してみよう」と答えた。

父は家で仕事の話はしない。私もしない。だから常務から私の提案を聞いた父、いや社長は初耳だった。だがすぐに「AP委員会」が発足した。APは「American Plant」の頭文字。まだ社内的にも秘密だった。

役員で構成し委員長は社長。その下に実動部隊のAP委員会幹事会ができた。幹事会のトップは佐平治常務で、私は実務の責任者になった。

幹事会で細部の検討に入った。確かに米国の支店網はマーケティングの面で成果は上げている。しかし赤字体質を改善するめどは立っていない。現地生産ができればそれに越したことはないが、問題は需給のバランスだ。

醤油(しょうゆ)は装置産業で一定の需要がないと成り立たない。「まだ無理だな」「難しいな」。そんな声が続いてAP委員会は「時期尚早」という結論になった。

だがその中から「現地で瓶詰めだけでもやったらどうだ」という話が出た。日本から貨物船で商品を運ぶより、ずっと経費が削れるのではないかという発想だ。

最初はドラム缶で運ぶ方法が考えられたが、折から太平洋航路にコンテナ船が就航した。特注のタンクコンテナで運べば効率がいい。

67年12月、私は佐平治常務に同行して米国に向かい、オークランドの「レスリー・フーズ」社と業務提携の契約書を交わした。ここに醤油の瓶詰め、テリヤキソースの調合と瓶詰めを委託する。

契約を交わすとすぐに、最初の瓶詰めに立ち会った。ラインが軽快に動き出す。ところが瓶に醤油を注入すると泡を吹いてうまくいかない。ちょっと慌てたが、キッコーマン本社から来ていた技術者がバルブの調整をしたら、順調に動き始めた。

照り焼きという日本の調理法は、主に魚を醤油とみりんで付け焼きにする。しかし米国の「Teriyaki」は醤油または醤油系のたれで肉を焼くことを意味する。

醤油は17世紀の長崎・出島から「コンプラ瓶」に詰めて欧州に輸出されていた。そのせいか18世紀のフランスの啓蒙思想家ディドロらが編さんした「百科全書」に醤油に関する記述があるという。

東大教授だった木村尚三郎さんに調べてもらった。フランスから帰国した木村さんは「図書館で初版本を見たら、醤油は肉に合うと書いてあったよ」と知らせてくれた。(キッコーマン名誉会長)

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Bubbles of river disappear rapidly.

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