日本交通川鍋一朗

【川鍋】
外資系コンサルティング会社を経て29歳で父の会社に入ったとき、父から100%の権限を与えられ、「自分の好きなようにやれ」と言われました。

でも、いざ入って衝撃を受けました。役員のモチベーションは低く、「彼らの仕事への姿勢を変えるにはどのくらいの時間がかかるか分からない。ここにいてもどうにもならない」と思いました。

そこで入社数カ月後にミニバンを活用した会員制ハイヤーの子会社を立ち上げ、この事業にかかりきりになりました。正直なところ、このときは「5年くらいで子会社の株式を上場し、上場益で親会社を買おう」と思っていました。しかし、うまくいかず、赤字がどんどん積み重なりました。

私の自信はがらがらと音を立てて崩れました。

■ベンチャーとは異なり、多少のミスは吸収できる

【星野】
川鍋社長は名門ビジネススクール、米ノースウエスタン大ケロッグ経営大学院でMBA(経営学修士)を取得し、マッキンゼー日本支社でコンサルタントをしていました。そんな優秀な人でもファミリービジネスを継いだ途端、子会社をつくって失敗してしまった。何が違うのでしょうか。私もそうですが、多くの後継者は「やはり経営は甘くない」と感じるのではないでしょうか。

【川鍋】
振り返って分析すると、軌道に乗せるまでにある程度時間がかかる事業であったにもかかわらず、最初からかなり大きな規模でスタートしたことなどが赤字を招いたと思います。意識と現実にずれがありましたが、そのまま走ってしまった。

「経営者は失敗しそうになっても、誰も止めてくれない」と身をもって知りました。

【星野】
「ファミリービジネスとはどうあるべきなのか」を象徴する話だと思います。

事業の立ち上げには経営者としての能力、知識などを超えたリスクが存在します。成功には運も必要で、それだけ難易度が上がります。一方、ファミリービジネスには先代までに築いた基盤があり、後継者はそのベースを改善すればいいわけです。新事業と比べたら、成功の確率はずっと高い。

だからこそ、ファミリービジネスに入るチャンスのある人は「自分で一から事業を立ち上げるよりも、家に帰れ」と言いたい。ファミリーの一員にしかできない戦略、変革もたくさんあります。

【川鍋】
ほかの人が素手で戦うところを、ファミリービジネスの後継者は「いきなりガンダムに乗れる(大きな土台を利用できる)」面があります。継げる事業があるのはそれ自体がラッキーです。チャンスがあるなら、継がない手はないと思います。

さらに言えば、ファミリービジネスは事業基盤がある分、多少の失敗を吸収できます。子会社の失敗は私の転機になりました。

失敗によって、私への社内の視線は一気に厳しくなり、「今のままでは自分の人生は負けだ」と思いました。結果を出そうと、日本交通本体の改革プロジェクトを10件ほど次々に立ち上げました。

と言っても、「本気になった」というような、格好いいものではありません。「これはやばい」と思う中で、ほかに何も選択肢がなかったのです。

ハイヤーの赤字取引見直しで成果が出始め、私にとって日本交通で初の成功体験になりました。ベンチャー企業は一度の失敗が経営を左右しますが、ファミリービジネスは失敗を血や肉にして経営者が成長できます。子会社での経験はその後の改革に生きています。

【星野】
多少の失敗ならそれまでの蓄積で吸収できたという経験は私にもあります。この点はファミリービジネスの本質とかかわっています。ただし最初から、大学院で学んだ理論やコンサルタントの経験を生かしていたら、すぐに本体改革に取り組めた気もします。なぜ失敗するまで、本体の改革に挑まなかったのですか。

【川鍋】
入社してすぐ本体の役員のモチベーションの低さに頭を抱え、子会社に目を向けたため、本体については実は経営内容すらあまり見ていませんでした。

■社内のコンセンサスのとり方を工夫

【星野】
私も外で働いてからファミリービジネスに入りました。ある程度は覚悟していましたが、社内は「予想以上」の状況でした。ファミリー出身で【星野】姓の幹部が何人も会社の敷地内に住んでいて、「特権階級」として公私混同が日常になっていました。

すぐに改革したかったのですが、入社したとき、父は軽井沢のホテル協会長を務めるなどパワフルでした。会社を変えようと動いても、父は「そんなに甘くない」という立場で、何を言っても進みませんでした。

やがて、私に同調していたスタッフも「あなたもあの一族の1人だ」という見方をするようになったのです。壁はあまりにも高く、失望感もありました。「どうにもならない」と悟り、入社から半年で退職しました。

【川鍋】
親のスタンスに違いはありますが、最初からうまくいったわけではない点で共通しています。

【星野】
父の本音は分からないですがこうなると、「戻ってこい」と言えません。一方で事業の将来を案じたほかのファミリーメンバーから私に対して、「すぐに戻れ」という声が高まりました。父は反対しましたが、最終的に株主総会で6割の支持を得て復帰し、31歳で社長に就任しました。

【川鍋】
退職するまでと復帰してからでは、【星野】社長のやり方やファミリーに対する姿勢に変化はありましたか。

【星野】
退職までの経験で、会社を変える難しさ、人材不足に気付いていました。そこで復帰して社長になるときは「一人では無理だ」と思い、公認会計士として社外にいた弟に役員として入社してもらいました。私にとって弟が一番信用できると思ったからです。

社内のコンセンサスのとり方も工夫するようになりました。会社を離れた2年間にファミリー内のさまざまな株主と話しました。

社長に就任後も、改革するには私をサポートしてくれる株主の納得が必要なため、「ステップを踏まなければならない。長期戦になる」と覚悟しました。周囲のコンセンサスを得ることを少しずつ意識するようになり、自分でもかなり丸くなったと思います。

改革を始めると、それまでのやり方にこだわる社員の退職が相次いだりしましたが、退職前のような「何もできないストレス」はなくなりました。変えたいことに向かって進むため、気持ちはすっきりしていました。

それでも、改革を実現するには時間がかかり、例えばファミリーに会社の敷地外に出てもらうまでには、「星のや軽井沢」が開業する2005年まで十数年かかりました。

【川鍋】
失敗を経て、前向きになったのは私も同じです。

改革プロジェクトが動き出してからも銀行との厳しい交渉などさまざまなことがありましたが、自分の動きで会社の課題が解決できるようになりました。

リストラを進め、一時1900億円あった債務を返済していくうちに、最初は自分1人でしたが、次第に社員も動き始め、できることが広がっていきました。

■変革マインドが周囲を巻き込み、活力を生む

【星野】
特に外の会社を経由して入る場合、若い後継者は大きな変化を図ろうとします。でも、ファミリーは急激な変化に対して抵抗があります。

私の場合、軽井沢以外の運営施設を手掛けるなどしながら成功の実績を作っていき、ファミリーである株主のマインドを変えていきました。

【川鍋】
後継者の中には、ファミリービジネスに入るとき、「当面は様子を見よう」という人が時々います。しかし、様子を見るはずだった人も、さまざまな場面でお酒を飲んだり、楽しんだりしているうちに、それまでのやり方に浸かっていきます。すると、失敗できないという意識が強くなり、リスクを取らなくなっていきます。

【星野】
ファミリービジネスを継いでいる若い経営者に聞くと、入ってからおとなしくなる人が意外なくらい多い。しかし、親の言うままにやっていては、「いつか変えてやろう」という気持ちもだんだんなくなります。

やはり、後継者は最初からある程度リスクを取っても「変える気概」を持つべきです。そうでなければ、せっかく若い世代がファミリービジネスに入っても、新しいエネルギーになりません。

【川鍋】
私のように3代目になると、創業者が作ったビジネスモデルの有効期限もかなり切れているケースがあります。それだけに、ファミリーで培ったことを生かしながら、変革への強い意志を持って付加価値を追加することが必要になってきます。

【星野】
ファミリーで培ってきた強さに依存しているだけでは、事業を継ぐ立場として、責任を果たせません。大事なのはやはり、「自分の代で何を変えてやろうか」ということだと思います。

そうした意識があれば環境をうまく生かせるし、世襲に対して、周りの納得感は高まります。変革マインドは大事だと思います。

<日本交通川鍋一朗社長>
1970年 東京生まれ。もの午後頃ついた頃から将来なりたい職業は「日本交通の社長」。小学校から大学まで慶應。大学では体育会スキー部主将。大学卒業後、米ノースウエスタン大ケロッグ経営大学院でMBA取得。マッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社入社。
2000年 日本交通に入社し、すぐに会員制ミニバンハイヤー事業の子会社を立ち上げるが失敗。結果を出さないといけないと考え、本体の小さな改革からスタート。成果が周囲に認められてから、大胆なリストラを断行。最大手のブランドを生かした新サービスにも着手。
2005年 3代目社長に就任。先代までの1900億円の債務を大胆な改革で立て直してきた。