五輪主役をつかめ ボクシング 村田諒太

開き直った正統派
技術・心 ともに充実

今年1月に亡くなった東京五輪バンタム級金メダリストの桜井孝雄さんを最後に、ボクシング金メダリストは日本から出ていない。「それだけ難しいことに挑戦する。やりがいがある」とミドル級(69キロ超~75キロ)代表の村田諒太(26、東洋大職)は言う。昨年の世界選手権で日本勢過去最高の銀メダルに輝いた26歳には、48年ぶりの頂点を目指す資格がある。

「自分の武器は馬力とスタミナ」と語る右構えのファイター。だが、接近戦で遮二無二パンチを振るうタイプではない。ガードを固めながら圧力をかけ、中間距離で上下に的確に打ち分ける正統派スタイル。182センチの均整の取れた肉体も海外勢に見劣りしない。

大学4年生だった4年前、北京五輪の出場を逃して一度はグローブを壁につるした。欧米の層が厚い重量級。「これ以上やっても世界で通用すると思えなかった。あっさり辞めました」。母校の事務職員として第二の人生をスタートさせた。

転機は2年後。勤務のかたわら、OBとしてコーチをしているボクシング部で部員の不祥事があり、活動自粛となった。汚名をそそぎたいと責任を感じると同時に、ボクシングへの未練が急に頭をもたげ始める。

「すっぱり辞めたつもりなのに、中途半端というかモヤモヤした気持ちを引きずっていた」。もともと国内で敵なしの存在。1年半ぶりに復帰した2009年の全日本選手権でいきなり優勝すると、おのずと目指す先はロンドンに定まった。

思う存分練習できた学生時代と異なり、午後6時までの勤務を終えてからのジムワーク。実戦練習もままならないが、「その分、考えるようになった」。トレーニングや体に詳しくなり、目的意識もぐんと増した。

昨秋の世界選手権(アゼルバイジャン)は驚きの快進撃だった。過去2度(05年、07年)の出場で合計1勝しかできなかった男が、6回勝って決勝に進出。2回戦では世界王者のアトエフ(ウズベキスタン)を圧倒して下し、ウクライナ選手との決勝も22―24と僅差の判定負けだった。

「自分でも突然の出来事だった」と望外の銀メダルだったようだが、過去の自分との違いも実感する。「働いてみて、ボクシングなんて社会に出たらちっちゃいこと、と思うようになった。昔は試合前からびびっていたけど、そんなことに緊張してばからしいなと、いい意味で開き直れるようになった」。潔さとすごみを漂わせ、勝負のリングに立つ。

(山口大介)

ロンドン五輪(7月27日開幕)で実施されるのは26競技302種目。「メジャー」とされる競技の方が少ないかもしれない。4年に1度のひのき舞台で輝くために鍛錬を積み、頂点に挑むアスリートを紹介する。

むらた・りょうた 1986年1月12日、奈良市生まれ。「やんちゃだった」中学1年の春、担任教師に連れられて地元高校の部活に参加したのがきっかけでボクシングを始める。南京都高で高校総体など全国タイトル5冠。東洋大―同職員と進み、これまで全日本選手権は5度制覇。戦績114勝(88RSC)19敗。家族は妻と1男。

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