蜷川幸雄(28) 芸術監督

高齢者劇団、夢解き放つ
「身毒丸」演出、神経過敏を克服

50代の長いトンネルの時代、演出していても目の前の舞台がモノクロに見えた。「夏の夜の夢」でようやくカラーに戻った気がしていると、舞台を見たというホリプロの金森美弥子さんとメジャーリーグの笹部博司さんが訪ねてきた。

寺山修司さんの「身毒丸」を演出しないかという依頼だ。中根公夫プロデューサーという無二のパートナーとおよそ20年走ってきたが、新しいプロデューサーと組む選択をした。出会いと別れを重ねるのが演出家の宿命かもしれない。

同い年にもかかわらず、寺山さんとは生前出会う機会がなかった。見せ物の復権を唱えた寺山さんならではの「身毒丸」はまがまがしい力を放つ作品で、ぼくの演出は総天然色になった。初演は1995年の冬、そのとき60歳。

神経過敏にならなくても演出できるようになったのは、このころからだ。過剰な自意識を手なずけるまで、こんなに時が必要だった。

60代は仕事の場が広がった。彩の国さいたま芸術劇場で全シェイクスピア作品を上演する企画が始まるのは、98年1月。この彩の国シェイクスピア・シリーズの芸術監督になったことがきっかけで、劇場の芸術監督にもなった。また99年には東急文化村のシアターコクーンで芸術監督に就任した。のちに文化村の社長になる田中珍彦さんから要請を受けた。

税金を用いる埼玉では民間ではできない舞台、シェイクスピアのマイナーな作品も上演し、地域に親しまれるよう努めている。民間劇場はデパ地下のようなもので、シアターコクーンではいろいろな楽しみを提供したい。

埼玉で力を入れているのが、2006年に創設した高齢者劇団のゴールド・シアターだ。芸術監督を引き受ける際、実現を就任の条件にさせてもらった。年をとることはマイナスではない。むしろ、より深い喜びや悲しみを表現できるようになる。演劇は実人生で実現できなかった夢を解き放つ場ともなる。

平均年齢が70歳を超えているので、公演のたびに体力の限界との闘いとなる。セリフを忘れるのは当然で、老いをさらけ出すことで新しい演劇の方法が見えてくる。ぼく自身、セリフを俳優にささやくプロンプターを務め、舞台の傍らに出ることもある。

埼玉ではゴールドのあと、若い俳優を集めたネクスト・シアターも発足させた。日本では俳優を育てる場が決定的に不足している。桐朋学園芸術短大の学長をした経験からいっても、学校制度の中で演技を学ぶことには限界がある。やはり劇場で演劇の実際をつかみとってもらいたい。

ネクストでは、福田善之さんや宮本研さんの優れた戯曲を上演した。いまの若者は友達の芝居、同世代の芝居しか見にいかない傾向がある。横に広がるだけで縦軸がない。数十年前の戯曲を演じることで、歴史の連続性の中に自分たちがいることを学んでほしいと思っている。

面白いのはゴールドとネクストが一緒に稽古すると、大家族のようになることだ。おじいちゃんを孫が助け、おばあちゃんが孫に弁当を作る。そんな光景が生まれる。

演劇は人と人とがぶつかる、コミュニケーションから生まれてくる表現だ。自意識過剰で、引きこもりがちだったぼくが生きてこられたのも、この演劇の力のおかげかもしれない。(演出家)

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Bubbles of river disappear rapidly.

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