蜷川幸雄(19) 青春の終わり

劇団内、不満噴出で解散
応援してくれた2人の先輩

現代人劇場の「真情あふるる軽薄さ」を見てくれた先輩俳優がふたりいた。テレビの「水戸黄門」で親しまれた俳優座の東野英治郎さんと映画の「極道シリーズ」に出ていた若山富三郎さんだ。

東野さんは開演を待つ列に並んでいた。小劇場の試みに興味があったのだろう。「面白かった。がんばれよ」と励ましてくれた。

東野さんは「蜷川君の考えを聞きたい」といって「水戸黄門」の出演者にたびたび起用してくれた。撮影の合間に隣に呼ばれ、黄門さまの口調で言われたことがある。

「蜷川君、今度ストリンドベリを一緒にやろう。けどな、君の演出は俳優を少し動かしすぎじゃないか。ぼくはあんなに動かなくてもできるぞ。トシだしな。稽古が始まったら記者の前で駄目出しはするな。東野さん、東野さんとたてるんだぞ。ワッハッハ」

若山富三郎さんは妻の真山知子をひいきにしてくれた。「若山一家・真山知子」と染め抜いた法被を贈られている。弟子やスタッフを集めた若山一家は現代人劇場の舞台を総見する。

2度目の観劇で客席から、ひとり、ふたりと消えていった。遠い世界と感じたようだ。満員の客席の真ん中がぽっかり開いた。若山さんがあとで真山に言葉をかけた。「あのときは悪かったなあ。おわびの品を送っといたから」

川口の団地に届いたのはスポーツカーだった。若山さんが乗っていた中古車だったが、手の届かない高級車だ。その後生まれた長女の実花は若山一家の新年会で一番高いお年玉をもらっていた。

映画のあとで演劇を上演するアートシアター新宿文化には楽屋がなかった。映画がはねるまで、劇団員はガードレールの鎖に腰かけて待つ。「真情」の評判が広がり、演劇記者が歩道で名刺をくれるようになったが、集団に亀裂が生じるのは早かった。

「真情」の打ち上げを桜丘の稽古場で開くと、整理員役で出演した学生やその友達たちでごった返す。中年の男役で出演した岡田英次さんが悪酔いし「うじ虫め!」と食ってかかっている。芝居とは関係ない全共闘の学生たちが交じっていたので、違和感を覚えたのだろう。

翌年、岡田さんは現代人劇場をやめた。岡田さんが用だてた200万円を返すと、劇団は稽古場の家賃を払えない。アパートの一室に移り、公園でも稽古した。真山の知り合いを通じて仲良くなったショーケン、萩原健一がよく稽古を見にきた。夜中に「面白いレコードがあるよ」と電話してきて、受話器の向こうでロックをかけてくれた。

清水邦夫の電話は朝の9時だった。「もしもし」「……」「もしもし?」「あ…」「もしもし……あっ清水君?」

無口な清水は書くたびに憔悴しながら、戯曲を提供してくれた。が、誰でも劇団員になれる集団の中では不満がたまっていた。ある者は「芝居どころじゃない、闘争を」といい、ある者は「配役がおかしい」という。

清水の「鴉(からす)よ、おれたちは弾丸をこめる」の公演を終え、何日か話し合いを続けた。個にかえろうと結論を出した。現代人劇場は清水作品4本と鶴屋南北の「東海道四谷怪談」をぼくの演出で上演し、解散する。1971年、36歳の秋だった。

真山は風呂場で泣き、ぽつりと言った。「青春が終わった気がするわ」(演出家)

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