蜷川幸雄(15) 結婚

女優の妻が家計支える
ラブシーン、演技ぎこちなく

「アブカワさん、よろしくお願いします」。結婚した真山知子がぼくに向かって最初にかけた言葉だ。青俳の7期下だった真山は東映のニューフェース出身だった。

テレビの仕事で名古屋に行ったとき、新幹線で偶然席が隣り合わせになった。ぼくは激化するベトナム戦争について解説したらしい。それがきっかけだった。劇団では何カ月で別れるか賭けられていた。「4カ月」に賭けた人が一番多かったそうだ。真山は「将来性のない俳優とよく結婚するね、と言われた」と笑っていた。

ぼくはサルトルとボーヴォワールに影響されて互いを束縛しない別居結婚を提案したが、これには真山が反対した。1966年5月、目白の椿山荘で結婚。媒酌人は岡田英次、和田愛子夫妻。新婚旅行は軽井沢と八ケ岳だった。

結婚する直前まで、ぼくはNHKの「チコちゃん日記」という子供向けのドラマに出ていた。夕方6時半の放送なのでテレビや映画の関係者が見ない。終わると仕事が途絶えた。結婚したのに夫は金がない。倍近いギャラをとる妻が家計を支えていた。

目をかけてくれた文学座の制作者の方が仕事を持ってきてくれた。それは愛のもつれを描く斬新な映画だった。美容室を経営する百合子が年下の愛人杉野と別れの旅に出る。百合子の昔の恋人今井を交え、危険な旅が続く。68年に公開された吉田喜重監督の「樹氷のよろめき」という映画だった。百合子が岡田茉莉子さん、今井が木村功さん、杉野がぼくだった。

別れをこばむ杉野と百合子のラブシーンがあった。たばこを当時吸っていたぼくは撮影当日、じっと我慢した。岡田さんが言った。「ふーん、キン坊、心がけがいいね」

木村さんと同じ口調になっていた気がする。姉御肌の岡田さんは吉田監督の奥さんでもあった。知的で冷静な監督とはいえ、やりにくい。演技はぎこちなかった。

最後に雪山で転げ落ちる過酷なシーンがあった。スキー場で有名なニセコアンヌプリという山で撮影したが、ころころ転がって瞼のあたりに雪がつき、目が開かなかった。

加賀まりこさんとのキスシーンも冷や汗ものだった。66年に公開された黒木和雄監督のデビュー作「とべない沈黙」でのことだ。「本番では口つけていい?」と聞いたら「当たり前じゃない、バカね!」と怒られた。

撮影先の京都では、ホテルの朝食ルームに作詞家の安井かずみさんが姿を見せた。「わたしの城下町」をはじめ数々のヒット曲を生んだ女性だ。安井さんは遊び仲間の加賀さんと朝食を食べたい一心で、東京からスポーツカーを飛ばしてきた。颯爽としたふたりにひかれ、ぼくも朝食に交ぜてもらっていた。

1960年代は新しい表現を求める人が出会える時代だった。前衛的な社会ドラマだった「とべない沈黙」にはカメラに鈴木達夫さん、助監督に東陽一さん、スチールに森山大道さんがかかわっていて、待ち時間は話がつきない。その場の議論でシナリオが変わる。ぼくは広島の廃虚にできた長屋や広場をさまよったが、どこから撮られるかわからない。歩け、カメラと追いかけっこしろ、という指示だけ。

皆お金がなかったが、たぎるような熱気があった。青俳は取り残されていないか。劇団の外で、ぼくは焦燥感に駆り立てられた。(演出家)

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Bubbles of river disappear rapidly.

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