蜷川幸雄(12) 「快速船」

初舞台の演技、失笑買う
台本の意味考える訓練、宝に

入団半年、初舞台は安部公房さんの「快速船」という芝居だった。飲めば望みがかなう特効薬で人体実験をする不可思議な話で、1955年9月、飛行館ホールで上演された。サンドイッチマンのぼくの役にセリフはなかった。

ピエロの衣装で踊りながら出て、舞台中央のスクリーンに映る新聞記事を指さし、再び踊りながら引っこむ。それだけの役に緊張しきったぼくは初日、スクリーンにぶつかり、それをぐらぐら揺らし、記事を体でふさいでしまった。客席に失笑が広がった。

終演後、演出の倉橋健さんに謝りにいくと「一生懸命やったんだから、しょうがないよ」と意外にも怒られなかった。救われた気がした。ぼくも演出家になってからは、懸命に努力した俳優の失敗はとがめないようにしている。

この芝居は稽古から変わっていた。受付で人々が新薬を次々に売りこむ場面を皆で考えた。ぼくが考えだしたのは、空を飛べる薬だった。ふわりと浮かんですいすい飛べるフワリンサンスイスイ。いまだに名前を覚えている。

青俳は52年に結成された青年俳優クラブから生まれた。既成の新劇に飽き足らない俳優が集まり、戦前のプロレタリア演劇から身を起こした本田延三郎さんが経営を支えた。新劇俳優の映画出演を後押しした本田さんがプロデュースする今井正監督の「純愛物語」で、ぼくは映画デビューしている。

早稲田の演劇博物館長になる英文学者の倉橋健さんが当時は助教授で、青俳の演技指導や演出にあたっていた。セリフの背後にある人間の心理を分析したサブテキストが徹底していた。小さな字で台本に書きこむサブテキストの方が本文より長いのだ。

たとえば「おはよう」というセリフがある。前の日けんかしたとすると「機嫌がいいかどうか、うかがう」のか「今日も怒っていると相手に、示す」のかで演技が変わる。「うかがう」「示す」と動詞で「出す」ことが大切。そうでないと解釈で終わり、アクションにつながらないという。

枕元に台本を置いて、あのセリフはこういう意味だ、と気づいたら書きこむ。そんな習慣がぼくの血肉になった。演出家になってからも、このころの「出す」訓練がぼくを支えてくれている。

倉橋さんは戯曲分析で俳優に動詞を「出す」ことを求めた。言葉を「出せない」俳優を怒った。ところが演じると面白いのに「出せない」俳優はいる。倉橋さんは「どうして、わからないの」と早口でしかる。往生する俳優を見て、立って演じた方が早いよ、と思うこともあった。ぼくは逆に「出す」ことが得意だったが、演じるとヘタだった。

「黒龍江」という芝居で、思いがけず主役を務めることになった。文学座に移籍した高原駿雄さんが忙しく、研究生のぼくが稽古で代役をしたのだ。

倉橋さんはぼくの不器用な演技に終始不機嫌だった。駄目出し、つまり演技の手直しが多く、ぼくは稽古場の隅でうずくまっていた。そんなとき声をかけてくれるのは木村功さんだ。「キン坊、キャッチボールしよう」

木村さんは優しい。「あした1時間早く来い、一緒に稽古してやるから」。本当に早く来た木村さんは心理をピンセットでつまみあげるように分析し、自然な演技に組み直して見せてくれた。

演技が少し良くなったところを高原さんが見て「キン坊がいいから、土曜と日曜はやらせてやってくれ」と劇団に申し入れてくれた。(演出家)

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Bubbles of river disappear rapidly.

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