樋口武男(25) 巨星落つ

遺影にV字回復誓う
初の赤字、引きずるより前へ

2002年11月ごろ、石橋信夫オーナーが「大和ハウスは創業以来、赤字になったことがない。1回ぐらい赤字にしてもかまへん(構わない)ぞ」と言った。私は耳を疑った。オーナーは尊敬する松下幸之助氏の「赤字は社会悪」という言葉を信奉し、ずっと実践してきたからだ。

すぐ財務担当役員に電話し、ゴルフ場など固定資産の減損処理や退職給付債務関連費用の一括償却など全部ひっくるめた損失額を聞いた。返事は「1500億円ぐらい」。4、5年で処理できるなと考えていると「1週間ください」と言う。結局、全部ウミを出すと2100億円に達すると分かった。小手先で処理していては時宜を失する。03年3月期で一括処理すると腹をくくった。

3月上旬の山荘訪問でオーナーに報告し、了承を得ることにして、2月21日、高知支店での社員研修に出かけた。教育を終えた午後7時過ぎ、本社から至急の電話が入った。不吉な予感がした。「オーナーがたった今、亡くなられました」。車で岡山駅に向かい、新幹線に乗り継ぎ、新大阪を目指した。

「社葬はするな。1日たりとも仕事を止めてほしくないんや」と生前にオーナーは言っていた。「そういうわけにはいかんと思います」と食い下がったが、両手でバツをつくって拒否した。22日、オーナーのひつぎを納めた車は能登を出て奈良や大阪の事業所・工場・研究所などを回り、大阪市北区の本社ビルに到着した。本社とグループ会社の役職員約100人が整列してお迎えした。

弔問客があまりに多い。密葬の形ではあるが24日に大阪・東住吉区の臨南寺で小規模な告別式をすることになった。長男の石橋伸康さんから弔辞を頼まれた。葬儀会社は「密葬で前例がない」と反対する。「前例を作ればいいやろう」と押し切った。

「送る言葉」をちゃんと言えるだろうか。自宅で部屋にこもり何十回も練習した。だが「教え子のひとりとして、今こうしてまぶたを閉じれば、ご教授いただいているシーンが走馬灯のように浮かび上がり、その一言一句がありありと頭の中によみがえって参ります」という箇所にさしかかると、涙があふれる。私は男泣きに泣いた。

何とか無事に弔辞を読み終えた告別式の翌日、本社ビル15階のオーナーの部屋に入った。大きな遺影が掲げてあった。私は遺影に向かって「1発でやらせてください。2度と赤字にはいたしません。必ずV字回復をなし遂げます」と報告した。

4月30日、03年3月期の連結最終損益が910億円の赤字になると発表した。特別損失2100億円を一括処理し、創業以来初の赤字に転落した。「赤字にしない方法もあったはず」と新聞記者から質問を受けた。私は「含み損を数年に分けて処理するのは、重荷を背負い足かせを引きずりながら経営を続けるようなもの。配当が減り、賞与も伸びなくては株主も従業員も将来への夢が持てない」と答えた。

5月1日、私は朝から株価の動向を注視していた。720円で始まった大和ハウスの株価は一時、714円まで下げた。そこで株価が反転した。1日は前日比35円高で引け、翌2日には777円の年初来高値を付けた。営業利益は出ている。負の遺産を一掃したことで業績回復に弾みが付くと市場は評価してくれた。(大和ハウス工業会長)

About sayfox
Bubbles of river disappear rapidly.

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。