トニー・ブレア(29) 首相辞任

「自ら引き際」こだわる
ブラウンと最後の綱引き

2005年の総選挙の後、党内では「秩序だった移行」という考え方が広がっていた。要するに「ブラウンへの首相禅譲」という意味だ。ブラウンは私に06年秋の党大会をメドに辞任を表明するよう迫っていた。

06年8月末、私はある英大手紙のインタビューを受けた。その前に側近から次のような助言メモを受け取っていた。「辞任時期を示せば首相の権威が低下し、辞任前倒しの圧力が強まります。07年秋の党大会か08年まで首相の座にとどまるべきです。チャーチル、サッチャーなど成功した首相たちに『秩序ある移行』などありませんでした」

このメモが頭にあったため辞任時期についての質問に「日取りを決めるつもりはない」と断定的に答えてしまい、新聞の見出しは「ブレア、退任時期について党に逆らう」となってしまった。

そして「クーデター」が始まった。9月4日、「ラウンドロビン」と呼ばれる首相辞任を求める労働党議員の連判状が回覧された。ブラウン陣営は我慢の限界にきていた。

6日、私は首相官邸のテラスでブラウンと向き合った。

ブラウン「連判状について詳しいことは知らないし関わっていない」
私「この談合が最後であることをはっきりさせたい」

このやりとりが実際に意味したのは次のようなことだ。

ブラウン『君は僕をほかにどうすることもできないようにした。君が辞めるというのは信用できない』
私『あまり強く辞任を迫るなら、君にクーデターの烙印(らくいん)を押すぞ』

私はブラウンに辞任時期について言質を与えなかった。

7日、私は今回の騒ぎについて謝罪し、まだ辞任の日取りを決めるつもりはないことを明らかにした。同時に次の党大会が私には最後になるだろうと述べた。これで党内はおさまり、私が自ら引き際を決すべきだという意見が大勢になった。

私は「07年半ばまでニューレーバー政策の核となる基本的な政策決定をしてから辞めよう」と決めた。最後の9カ月間、年金、福祉、医療、学校などの改革について一連の選択肢を示すのだ。

10月下旬、ブレアとブラウンの両陣営を集め「未来への道」という政策協議を発足させた。ブラウンが首相になってもニューレーバー路線が続くことを示そうとするものだったが、彼にはその重要性がわかっていなかったようだ。

07年5月、仏大統領に就任したばかりのニコラ・サルコジに会った。全身に力がみなぎっていた。新しい指導者特有の限りない可能性。私は10年前の自分を見る思いがした。「そのうち難しくなるよ」。彼に警告した。「もちろん、わかっている」と彼は答えた。私もそう思っていた。だが実際に経験するまではすべてはわからないものである。

そして6月27日、辞任の日が来た。それは水曜日で最後のクエスチョンタイム(首相質問)があった。私はこうあいさつした。

「政治という場は、時には程度の低いインチキの場であっても、尊い大義の追求の場であることのほうが多いのです。友にも敵にも幸あれとお祈りします」

保守党党首デビッド・キャメロンの提案で、満場総立ちの拍手で見送られた。そして終わった。(元英首相)

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