トニー・ブレア(28) 最後の2年

教育・年金改革に執念
党献金巡る脅迫に屈さず

首相在任中の最後の2年間、党は反乱を起こしていた。財務相のゴードン・ブラウンは絶え間なく陰謀をめぐらしていた。一方、私も強くなり何でも来いという気分になっていた。矢をはね返す心理的なよろいとでも言うべきものを身にまとおうとしていた。

多くの困難にもかかわらず、自分のやっていることに強い自信を感じていた。今や政策課題を完全に掌握していたからだ。私の政策を理解する閣僚が主要ポストにそろっていた。財務省の嫌がらせがあったが、ブラウンもやり過ぎれば改革に反対だと疑われると恐れていた。

特に学校改革は最終目標にまで進むことができた。職員採用や給与設定をより柔軟にできる学校の導入などだ。

年金・福祉改革も重要だった。英国は他の先進国と同様に高齢化、若年人口の減少、医療費の増大などの問題に直面していた。このままでは将来、公的年金制度の破綻は避けられない。年金給付の責任を国から個人に移す仕組みをつくるべきだった。国は本当に困った人には保障を与えるが、国民がもっと自分自身で老後の資金を確保するほうが良いと考えた。

年金改革を検討する有識者委員会で検討し、国の基礎的年金は維持し、その年金を個人の努力で積み増すことができる仕組みを導入する改革案をまとめた。こうした改革の実行や設計が進んでいたが、これらはメディアで大きく報じられることはなかった。関心は政策よりもスキャンダルにあったのだ。

2006年3月、「現金で爵位を買う」というスキャンダルが表面化した。労働党の資金集めの担当者が、貸付金に見せかけた政治献金と引き換えに貴族院議員になれる爵位を与えることを人々に持ちかけたという話だった。資金提供者の名前が表に出る献金ではなく、貸付金という形で資金を提供するのは当時はよく行われていたことだった。

最初に報じられたときは中規模の事件だったが、3月15日、労働党の財務責任者ジャック・ドローミーがこの件で調査を要求する声明を出したのをきっかけに騒ぎが大きくなってしまった。

この件にもブラウンが関わっていた。前述した年金改革案について私は彼と衝突していた。その最終決定をする重要会合が3月15日にあったのだ。まず午前中にブラウンと2人だけで会った。彼は年金ではなく、党献金問題から切り出し、調査が必要だと言った。私はそれは火に油を注ぎ、党に大きな打撃を与えるだけだと反対した。

ブラウンはそこで、私が年金改革案を棚上げにするなら、調査は求めない。そうでなければ調査を要求すると言った。彼は私を脅迫し、私はそれを軽蔑した。

午後4時、年金改革の協議が始まり、私は改革案通り進めることを主張し、会議は5時に終わった。1時間後の6時にドローミーが調査を求める声明を発表したのだ。この声明発表で警察も捜査に入らざるを得ない状況になった。捜査は私が辞任するまで1年半にわたり続いた。そして、私が首相を辞任した数週間後には何の告発もなく捜査は終結したのだ。

私にはブラウンがドローミーをそそのかしたのかどうかはわからない。だがこの一件で私は政治の本当に嫌な側面を見せつけられたと感じた。(元英首相)

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