トニー・ブレア(26) 勝利と悲劇

サミット最中にテロ
五輪開催決定 歓喜の翌朝

2005年7月2日からの7日間は忙しくなりそうな気配だった。12年五輪の招致活動のためシンガポールに飛んで2日間過ごした後、主要国首脳会議(G8サミット)を開くスコットランドのグレンイーグルズにとって返す。その年は英国がG8議長国だった。

五輪招致案が出たとき、私は実現するとは思っていなかった。下馬評ではパリが断トツだった。開催地を決めるシンガポールでの国際オリンピック委員会(IOC)総会に私が行くべきかどうか迷った。結局行くことにしたのは、最善を尽くさなかったと批判されないためだった。

シンガポールでは多くのIOC委員と会い、妻シェリーやサッカーのデビッド・ベッカムも動いた。5日夜、パーティー会場にシラク仏大統領が現れた。私のひがみかもしれないが、皆が彼のまわりにお世辞を言いに集まったように見えた。私は会場を抜けだしたかったが補佐官が許さなかった。「五輪招致に失敗、サミットも台無し」というのだけはごめんだった。

シンガポールから1晩飛んでグレンイーグルズに直行した。私はG8で2つの目標を掲げた。アフリカ包括支援と、京都議定書後の温暖化ガス削減の原則の確立だ。ブッシュ米大統領はこの議題に不安を抱いていた。もともとサミット嫌いの彼に、この議題に同意させ行動をともにさせようと努力した。彼はアフリカ支援の倍増を表明したが、気候変動問題には懐疑的だった。

6日朝、シンガポールから知らせが入った。まずモスクワが、次にニューヨークが落選。午前10時、マドリードも落選した。残るはロンドンとパリだ。そして首席補佐官パウエルの電話が鳴った。勝った。私は彼に抱きついた。敗れたシラクも私に丁重なお祝いの言葉をかけてくれた。

勝利から一夜明けた7日朝。中国の胡錦濤国家主席との会談の最中に、パウエルからメモが入った。「ロンドンの地下鉄で事件」。1回以上の爆発が起こっているという。朝の通勤ラッシュ時の地下鉄を狙った爆弾テロだった。午前10時ごろ、4回目の爆発のニュースが入った。今度はロンドンのバスだった。

私は深く息を吸った。「G8を中座するか、G8を取りやめるのか、予定を変更し敵を喜ばせるのか」。無情に聞こえるかもしれないが、計算が必要だった。涙を流す時間はあとである。今はリーダーなのだ。

私は各国首脳に事情を説明した。G8を中座すべきか迷っていた。ロンドンに戻るべきだと主張したのはシラクだった。「英国民はそれを待っている」と彼は言った。私はロンドンに戻ることにした。

官邸に戻り事態の把握に全力をあげた。アルカイダの犯行であることは明白だった。52人が死亡、多数の負傷者。英国では過去最悪のテロ攻撃だ。五輪開催の栄冠を勝ちとった直後の、まさに勝利の後の悲劇だった。

その夜、G8に戻った。テロの影響もあって首脳らの団結は強まっていた。皆がG8の課題を支持し、すべてが望み通りではなかったが8~9割の目標は達成した。

G8が終わった8日夜、私は官邸に帰り着いた。幼い三男レオの部屋に入った。ぐっすり眠っていた。これからの人生、彼はどれだけの勝利、どれだけの悲劇、幸せと悲しみを積み重ねるのだろうか。私は自問した。(元英首相)

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Bubbles of river disappear rapidly.

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