トニー・ブレア(14) 聖金曜日合意

交渉を主導、和平実現
北アイルランドに行政府

1997年の総選挙前に副党首プレスコットに北アイルランド和平を進める決意を話したとき、彼は吹き出した。当時のメージャー首相の和平交渉はテロ再発で崩壊していた。この問題は宗教と領土紛争が交じった憎悪の歴史だった。19世紀に英国からの自治権移譲が失敗、1920年代にはアイルランドは南北に分断され、60年代には公民権蜂起が勃発。数多くの和平の試みは失敗していた。

私は労働党党首になってまず北アイルランド政策を見直した。従来の党方針はプロテスタント派とカトリック派の交渉で南北統合を目指すものだった。だがこれは英国残留を望むプロテスタント派を無視するものだ。私は、英国残留か南北統合かには、中立の立場をとり、メージャー首相の和平交渉を支持した。この問題を党派的な得点稼ぎにすべきではないと考えていた。

首相就任後、私は戦略をはっきりさせた。「英国残留か、南北統合か」の難問は将来に委ね、まず和平達成のための原則を探る。その原則は「北アイルランド住民の多数が望めば南との統合はあり得る。だがそれまでは北アイルランドは英国の一部にとどまる。北アイルランドに全住民を代表する政府ができれば、カトリック系過激組織アイルランド共和軍(IRA)は戦闘をやめる」というものだった。

98年4月7日、和平交渉のため私はベルファスト入りした。交渉議長のジョージ・ミッチェル元米上院議員に会った。彼は上機嫌だったが「協定は成立できそうにない」と軽やかに言って私をうろたえさせた。即座に私は交渉をすべて自分で取り仕切ろうと決心した。前夜、私は交渉の複雑さについて勉強していた。翌日の訴訟に備えて事件書類に目を通す弁護士時代に戻ったような気がした。

私は関係者と個別に会談し、まずプロテスタント系に草案を書かせて、カトリック側に修正させることにした。だがカトリック側はひとつではなかった。アイルランド政府とカトリック穏健派、強硬派のIRA政治組織シン・フェイン党がいた。シン・フェインは40ページもの修正要求を持ってきた。そのうちIRAの政治犯の釈放で妥協した。

交渉会場周辺には世界から報道陣がつめかけていた。不眠不休の作業を続け、聖金曜日の4月10日を迎えた。最後に残ったのはIRA武装解除問題だった。私はプロテスタント系の政党党首のデビッド・トリンブルに補足の手紙を書くことにした。IRAが約束通り武装解除しなかったら、合意条項を変更し、IRAの排除に賛成すると保証するものだった。手紙を届けてから1時間。トリンブルが私の部屋に来て言った。「我々はこの線でいきます」。この瞬間、協定は成立した。

後に聖金曜日合意と呼ばれる和平協定は、最高の成果だったが、終わりではなく始まりにすぎなかった。機能する解決までさらに9年を要した。その一年一年が苦難に満ち失敗を認めざるを得ないところまでたびたびいった。だが、我々は進み続けた。

歴史的な日は私の首相退任直前の2007年5月8日にやってきた。北アイルランドに新たな行政府ができた。首相はプロテスタント系、副首相はカトリック系。2人は冗談を言い合っていた。夢ではないかと思った。互いを殺したがっていた者同士が、今やともに働きたいと思っていたのだ。
(元英首相)

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