トニー・ブレア(4) 司法修習時代

初仕事、怒鳴られ学ぶ
シェリーと知り合い結婚

オックスフォード大卒業後は法廷弁護士になるための司法修習を始めた。当時36歳で聡明(そうめい)な若手法廷弁護士として注目を浴びていたデリー・アーバインのもとで私の弁護士見習いは始まった。

当時の私は、知能面で試験を合格したにすぎず、彼は真の意味で物の考え方を教えてくれた。それは、問題を原点から分析・解剖してから解決策を構築するということだ。

初めて法律の意見書を書いて提出したときのことだ。私はどうせアーバインが目を通して一言二言コメントして、くずかごに投げ入れるだろうと思っていた。ところが彼はそれを一読して署名し「発表するように係員に言いなさい」と私に告げた。

「これでいいんですか?」。度肝を抜かれた私は聞き返した。駆け出し弁護士の書いた意見書がそのまま通るなんてありえない。「そうだな」。彼は私を見上げながら「これは最高のできじゃないのか」と私を怒鳴りつけた。

「とても難しかったです。これでよければと思いますが、何しろ初めての仕事ですから……」。私が言い訳を始めると、彼は意見書をつかんで私に投げつけた。「くどくど言うのは聞きたくない。生半可な気持ちは嫌なんだ。責任のとれるベストの仕事をしてほしい。仕上げたらもう一度来い」。そう言って彼は机に目を落とした。

書き直した草稿を持っていくと、今度はアーバインは私に座るように言い、草稿に詳細に目を通し、欠陥を説明し、論拠について私に質問し、結論を掘り下げていった。

問題を徹底的に調べ、見方を変え一度はなれてみて、また戻るというのが彼のやり方だった。慣例だからという理由で分析を受け入れることはなかった。私はアーバインをおそれるとともに崇拝した。1997年にブレア政権が発足すると私は彼を大法官に任命した。

司法修習時代にもう一つ得たものがあった。妻シェリーとの出会いである。彼女はロンドン・スクール・オブ・エコノミクスを首席で卒業した秀才だった。76年に彼女と一緒に司法試験を受けた。私も合格したが、彼女は1番の成績だった。そして80年に2人は結婚した。

シェリーは私に大きな影響を与えた。それは長い時間、政治談議をしたからではない。彼女の労働党支持が自然で、良識的な、実際の人生経験から生まれたものだったからだ。彼女も知的なあるいは政治的なポーズをとることには少しも興味がなかった。実際のところ、私と同世代で、彼女ほど終始一貫、政治的に同じ地点にとどまり続けた者はいない。彼女は自分より左寄りの人たちが右に移動するのを目にしていた。しかし、自身は同じ場所にとどまっていたのである。

法廷弁護士として働いた最初の4~5年、私は法律に没頭した。仕事はとにかく時間を食うものだった。毎日少なくとも12時間は働いた。

大学時代の友人の影響で政治に目覚めた私は、大学卒業後に労働党に入り、地方支部に所属した。政治雑誌に投稿をしたことはあったが、駆け出し弁護士時代は忙しくて、政治活動にあてる時間はほとんどなかった。ただ、前にも述べたように、大学卒業直後の母の死で、私は人生が有限であることを知り、生きるのを急いでいた。

(元英首相)

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